2022年03月19日

番外編であります。

久しぶりに、ワンカップの冷や酒と来た。
紺色に近い青地に白抜文字のラベル。
One CUP XXXXXと印刷されている日本酒。
多分、半世紀を優に超えるロングセラー商品、大関だろう。

〇〇県の何処かの店で今しがた煽ったばかりだ。
喉には、はっきりとアルコールの余韻が残っている。
味・香り・匂いが未だに尾を引いている。
何年ぶりかの酔いの感覚で、頭がクラクラする。

本当にリアルな感覚なのだ。
夢の中で、久しぶりに飲んだ酒が、めっぽう旨かったのである。
目が覚めていなければ、際限なく煽り続けていた筈だ。

しかし、夜中にガバット起きてブログを書こうと思ったのは、
断酒の身で酒を飲んだ夢を見た事や、
酒の味を思い出して堪能していた事に対する懺悔のつもりなどでではない。

その夢には、そこまでのシーンに至る伏線があるのだ。

実は、人生初めてデートした女性が夢に出て来たのだ。
名前は、〇〇幸子さん。
△△県立◇◇高校の同級生である。

当時、高校を出て、童子は京都で予備校生生活。
彼女は近県に就職していた。
お互い19歳。

高校時代は、別の学級で同じクラスになったことはない。
時たま廊下ですれ違うだけで、一言も話した事がなかった。
何回か目が合ってドキドキした場面は今でも鮮明に覚えている。


童子は大器晩成と言うか何と言うか。(嘘だが)
幼稚園から小中高校を出るまでは、実は、女性とデートした事もないのだ。(´・ω・`)
良く言えば、シャイ。照れ屋。悪くいうと、臆病者。小心者。
それでいて恋に目覚めるのは早かったようだ。

田舎にしては洒落た名前のルンビニ幼稚園。
紺色のうわっぱりを着て背の高い凛とした感じの先生。
淡い恋心を抱いたのを今でも覚えております。

5歳の鼻垂れ小僧から見ての当時の美的感覚。
遠巻きに幼稚園の園庭の端から憧れの眼差しで、
大人の女性として眺めていた、ませくれた坊や。
何を隠そう酒呑童子のホントの”童子”時代。

その後、数年間は、おませは何故か影を潜めたようだ。


再度目覚めたのは、小学校の6年。
名前は、□□伊津子さん
山手の数百坪の庭のある当時の私邸では珍しい鉄筋2階建ての豪邸。
多分地元のそこそこの企業の経営者が親か祖父であったのだろう。
その辺の有象無象のガキどもとは完全に別世界の、高貴な気品漂う令嬢然。

農薬工場の酔いどれ工員のあばら家に住む童子とは、
釣り合いの取れない身分であると子供心に自覚していた。
靴下の穴も縫合し尽し新品が買えない家庭の童子は、
価格の張りそうな衣装を纏った令嬢には近寄る事すら避けていた。

それでも、海に近い干拓地に住む童子は、
夕日の波が寄せる砂浜で、木の枝で令嬢の名前を砂に書いたのを覚えている。
士農工商のせいだ!カースト制のせいだ!(゚皿゚メ)
身分を超えての恋愛が世間的にかなわぬ事を恨みながら。

てへ!!!

とは言っても、30歳にもなるK室某よりは、
余程世俗の分別ある、身の程わきまえた学童だったのである。えへん。(・∀・)

中学校に入ってからは、
他クラスの学級委員△△まゆみさん。
スリムでショートカットが似合ったの色白な笑顔がチャーミングで可愛いかった。
同じく学級委員だった童子とは、朝の始業前報告で、職員室のある棟と繋ぐ廊下でよくすれ違った。

高校は別々になって、暫く忘れておりました。
或る日、中学校同窓会名簿の便りで、17歳で他界したのを知ったのです。
病死となっていたが。。。美人薄命。
嗚呼!('A`|||)

で、高校はというと、前出の彼女。
これも、淡い淡い思いである。

京都の予備校での浪人生活を一人下宿を借りて続けていた。
秋も終わりの木の葉が舞い始めた季節。
どうにも高校までの人生が寂しくなったのだ。

想いを綴った(忘れたが)手紙を手に、
大宮鞍馬口を下った銭湯の前にある赤い丸いポストの前を数日何度も行き来した挙句、
遂に清水の舞台から飛び降りる思いで投函した。
蒼い蒼い蒼い、青春の日々。

それで、大学に入るまで、何度も京都・奈良を舞台にデートを重ねたが、
臆病で根性なしの童子は手を繋ぐことさえ踏み出せなかったのだ。
本当に奥手。校則に不純異性交遊御法度の文言があった時代。(言い訳)φ(.. )

しかし、童子が大学に受かったのと同時に、彼女は実家の田舎に戻る事になった。
田舎で数回逢ったけれど、当時は、貧乏人は通信手段にも事欠く時代。
SMSもLINEもなかった。無論携帯も。固定電話すら金持ちの家しかなかった時代。

彼女からすれば、先々の離れ離れの生活を考えれば別れるのが妥当だったのだろう。
(というより、”別れる”という言葉は、童子の頭の中の理屈だけで、
 彼女に”別れ”という悲哀が一抹でもあったかは今考えれば怪しいが。)


童子は初めての女性との交際で、心情的に没入していたので、
大学合格の喜びもすっとんで、”終恋”のショックで、
春先の下宿で、1-2週間寝込んでいた。
思えば此の頃から依存症の魔の手が忍び寄ってきたのかも知れない。

で、夢の中に戻ります。
田舎で再開した二人は交際を再開するのであった。
が、昔々手を握った事もないのを"反省"して、それとなく仕掛けても、
彼女は、あからさまに拒絶するのではなく、するりと巧みに手をほどくのだ。
するりするりするり。。。するりするりするり。。。

ああ、やっぱり叶わないなあという思い。
場面は、仕事関係の宴会の日の夕刻に切り替わる。
田舎の低級なレストランというより食事処。
仕事関係者と到着するや否や、駆け付け一杯のワンカップとなった次第。

長々と書きましたが、もう彼女と生きているうちには、出会う事もないだろう。
19歳当時のイメージしかないが、今や童子と同じ老齢である。
山本陽子のように(?)美貌が残っているとは考えづらい。φ(.. )


老い先短い身の淡い淡い青春時代の記録として残しておこうと思った次第です。
かといって、奇跡的に悪運の強い酒呑童子のこと。
もしかしたら、ハリウッド映画のデビルのように500歳も生きるやも。

ただ、最後に。
彼女の名前の「幸子」が、
「ゆきこ」と読むのか「さちこ」と読むのかすら忘れている己の認知症に気づいた。(´・ω・`)
ダメだ。こりゃあ!

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ctxt0475ctxt0475 at 06:39│コメント(2)

この記事へのコメント

1. Posted by のんたん   2022年03月25日 21:52
5 お疲れさまです。
この頃、めっきり春らしくなって来ましたね!こちらでは春は短く、すぐに夏がやってきます。イヤだなぁ

童子さんの恋愛遍歴(?)楽しく読ませてもらいました。私もかなり奥手で初めてのデートは19才の時、京都の嵐山に行きました。確かボートのようなものに乗った記憶がありますが、、後は何も覚えていません。相手は神戸の大学生でしたが、私は、きっと、恋心などなかったんだと思います。その頃、私はナイーブな不良少年みたいな人に憧れていたんです。でも知り合うチャンスもなく勇気もなく、今、考えると真面目でダサい青春時代だったかな、と思えます。若さは貴重で大切なものなのに、、羽目を外すこともなく、残念でした。
今回は童子さんの青春時代を垣間見ることができて良かったです。
更新が増えたこと嬉しかったです。
2. Posted by 酒呑童子   2022年03月26日 07:31
>>1
のんたんさん
おはようございます。
嵐山ですか。。。懐かしいですね。
先妻の実家が嵐山だったので、此の地は詳しいです。
おんぼろ嵐電。(今は新しい車両かな?)
渡月橋、貸ボート、天龍寺、野々宮神社、竹林道、大覚寺。
料亭錦のすっぽん料理は通ったものです。
森嘉の豆腐。
やっぱり京都は懐かしいです。
特に東京の無機質な人ゴミの中で仕事していると、
京都に降り立った時の空気というか、
平安から続く場の持つ”気”の違いを感じて、
心が癒やされる気分になる酒呑童子なのです。
仕事一段落したら行ってみるかな。。。


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