2021年04月30日

このブログでは、あまり童子の身内に触れた内容は少ないように思う。
ブログ開始時に父親母親の晩年については若干記してはいるが、
それ以降は、特に近年は殆どないのではなかろうか。

十八歳で田舎を離れ、それ以後、他の街での生活が長かったため、
身内と共に生活したという記憶が、そう多くないせいなのか、
それとも、親不孝者で御先祖様に顔向け出来ないからかは、定かではない。

今や、童子の実父母系の身内で付き合いのある者は、田舎に暮らす妹夫婦くらいになっているのだ。
それとて親の何回忌の数年に1回、実家に戻る程度で、田舎の親戚とも疎遠となっている。
段々と日本の田舎が過疎化し老朽化するとともに、童子の心からも朽ち果てて行っているようだ。


今や月一回の更新となり下がってしまった当ブログの原稿締め切り日(本日)には、
普段の生活で酒を意識する事はほとんどなくなってはいるものの、
一人自助会の自省のために、酒に関する過去の記憶の断片をたどり寄せる。
と、ふと、父方の祖父の記憶が蘇った。

大分以前にブログで少しは触れていたかもしれぬが、
祖父は非の打ち所がない完璧なアル中として己の生涯を閉じた。

晩年の祖父は離れの部屋で酔い潰れていたので、その頃の童子との接触はほとんどない。
否、接触しないようにしていたと云う方が正しいだろう。
それでも、晩年以前の薄っすらとセピア色化した数枚の画像は脳裏にまだ残っている。

実家は農家ではなかったが、裏庭には季節毎に祖父母が野菜を植えて収穫していた。
スイカ、柿、柑橘類、桃、ぶどうなどの果樹も育てていた。
放し飼いの鶏も。兎も飼っていた。捌いていたのは祖父だったようだ。

また、童子が幼少(多分小学校前)の一時期ではあるが、
そう大きくもない納屋に馬が居たのを薄っすらと覚えている。
農耕馬だったのかどうか不明だが、路上を馬に跨がり闊歩してたのは祖父だったように思う。

また、裏山で蝮を捕まえ、一升瓶にいれて納屋に保管してたのも祖父の仕業だった。
その後、蝮がどういう運命をたどったのかは定かでない。
おそらくは、焼酎を注いでマムシ酒にして、誰かにあげたのであろうか。
(家の者は、皆嫌がっていたから。)

小学生の悪ガキだった童子だけは、こっそりと納屋に入り、
一升瓶の隙間からエアーサロンパスを噴霧し、蝮の労をねぎらってやっていた。
蝮は、激しく身をくねらせて童子に感謝を表していたものだ。(・∀・)

また、ある時は、大酒飲みで遊び人だった親父が何処かでやらかした不始末のせいで、
ヤクザ(いうよりチンピラかも)が、童子の家に因縁を付けに訪れた事がある。

親父は身の危険を察知したのか、ずらかってたようだ。(童子同様、逃げ足は早かったのかな)
ヤクザは、親父の弁償金を、居合わせて母にたかっていたようで、母は応対に弱っていた。
そこに、祖父が、なんと褌一丁で現れ、ヤクザを一喝して帰らせた記憶が残っている。
まだ、素面で活動的な祖父の一面があった。

それが、多分、童子が小学校の時に祖母が亡くなってから酒浸りになったように思う。
毎日昼間から呑んだくれているようになった。
いつも、眼が充血して腫れ上がり、饐えた酒の臭いがしていた。

中学生の童子が友人と下校時に、路端で酔い潰れて倒れている祖父を見つけた時、
とてもじゃないが身内だと言える訳はなく、他人のフリをして置き去りにして帰った。
そういう事が頻発してたから、父親と祖父の関係も悪くなり、
食事も母が祖父の離れの部屋まで運び、祖父と夕餉の食台を囲むこともなくなった。

童子が高校になると、遂に祖父は酒が祟り、入院となった。
しかし、数日後の夕方、近所の人が回覧板か何か持って来た時に、
「〇〇(祖父の名)さん。△△町(田舎唯一の繁華街。といっても十数軒の飲み屋)で機嫌よかったけど。」
すぐに、親父が迎えに行って、病院に連れ戻すこととなったのは、言うまでもない。

何度も何度も似たような事を繰り返す祖父とは、話すこともなくなっていったのだ。
高校卒業後、田舎を離れてからの記憶は、ひとつだけ。
一度帰省した際に、たまたま良い潰れてない状態の祖父に、何を思ったのか吸いかけのハイライト一箱を渡した。
その時の祖父の、驚きが交じった少し嬉しそうな表情が、最期の祖父の記憶である。

翌年か翌々年、祖父が肝臓病か何かで再入院して、また病院を抜け出して倒れ還らぬ人となったが、
忌み嫌っていたアル中という病気で逝った祖父の葬儀に帰省する気も起こらなかった。

しかし、そのアル中に童子自身が変貌を遂げるに、そう多くの歳月は必要なかったのた。

親父は大酒飲みだったが、不思議と依存症にはならなかった。
祖父と童子の間の隔世遺伝だったのであろうか。
依存症になった御蔭か、今頃になって祖父の淋しさが少しは解るようになった。φ(.. )

↓クリック頂ければ、続稿の励みとなります。

にほんブログ村 酒ブログ 禁酒・断酒へ
にほんブログ村
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アルコール依存症へ
にほんブログ村

ctxt0475ctxt0475 at 08:06│コメント(6)

この記事へのコメント

1. Posted by のんたん   2021年05月13日 16:23
5 毎日、お元気で過ごされていますか?
今回、童子さんのブログを読んで、童子さんの郷里って、どこかな、と考えました。農家ではなくても、裏庭で野菜や果物を収穫し、鶏や兎を飼い、馬までいたなんて、すごい!素敵!だと思いました。そういうノドカな所で伸び伸びと育った童子さんだから、大人になって、色々あっても乗り越えてこれたのだと思います。私のとこも田舎ですが農家でないと、収穫もないし、回りの家も裏庭もなく、駐車スペースを取るのが精一杯だったような、、、だから、私は、せせこましい神経質な人に育ったのかも(笑)
男の人は、おおらかなのが1番です。それは、大雑把と紙一重かもしれませんが(笑)童子さんは、おおらかでありながら、思慮深く、ユーモアもあるし、素敵な人だと思います。これからも、少年時代の童子さんの思い出話しなど聞かせて下さいね。楽しみにしています。
2. Posted by 酒呑童子   2021年05月15日 15:36
>>1
私の生まれは西日本で、案外、のんたんさん所に遠くはない、というとこでしょうか。
昔は自然に溢れていたのですが、コンビナートなどの中途半端な開発のせいか、海も汚れて魚たちも居なくなり、山の緑も鳥も居なくなって、さらには産業衰退で人間も居なくなって、何も良い所も無くなった寂れた田舎と化しています。
多分、今の日本国の地方自治体は、こういう所が多いのでしょうね。
確かに、昔は貧乏だけど、伸び伸び生き生きとした暮らしがあったように思います。
そして、高度成長期の最中にあり、人々にも明るさと力強さと希望があった気がする。
それが、今や東京のど真ん中に居ても、そんな活気を感じる事は殆どない。
日本は終わった(かどうか異論はあろうけど)ような感覚になって、寂しい限りです。

コロナで昨年から出掛けてないけれど、私が中国で感じて来たのは、そういう日本の数十年前のような、しかも桁違いに大きい成長力と躍動感。それに、上海という東京を遥かに凌駕する大都市から、小一時間で昔ながらの田舎の光景が残っているという牧歌的な安らぎ。騙す人も多いが、まだまだ大陸のおおらかさが残っている懐の深い人達も居る。
共産党独裁さえなければ、・・・。うーむ。

3. Posted by るんるり   2021年05月17日 12:26
5 おじい様...寂しかったのかなあ
しんみりします。
4. Posted by でるでる   2021年05月18日 06:35
童子様 いつも楽しく拝読させていただいております 先に進めません 断酒決めてご報告させていただきたいのですが仕事がない土日は飲んでしまい そんな自分にウンザリします とりあえず仕事家事筋トレに励みます 関係ありませんが自分も中共が大嫌いです トランプが光だと痛感します 子供達に正しい歴史を伝えていきたいと思います これからも童子様のブログ楽しみにさせていただきます
5. Posted by 酒呑童子   2021年05月24日 12:29
>>3
るんるりさん
こんにちは。
依存症は、みんな、何処か寂しいものなんでしょうね。
だからといって、酒に逃げるのは、よろしくないですね。
6. Posted by 酒呑童子   2021年05月24日 12:33
>>4
でるでるさん
こんにちは。
土日で済めば良いのですが、私も土日の深酒が影響して、月曜日は仕事やすみ。
休むとまた飲んで、火曜日も・・・という状態を繰り返してました。
なかなか難しいものですね。

コメントする

名前
 
  絵文字