2015年04月07日
さて、そのまま入院する腹をくくった童子でありましたが、
よもや当日からとは考えてもおらず、入院支度は皆無で、
夜までに、身の周りの物は妻が揃えてくるという事で、
とりあえずは着のみ着のままで、お世話になる運びとなりました。
重症患者は、最初の1週間程度は隔離室で過ごすという規則でした。
看護婦さんが、四六時中、患者の動向を監視していて、
点滴や検査を受けながら、まずはアルコールを体から抜く処置を取られます。
隔離室は、外から病院の外観を見て怖気づいた、
窓に不気味な鉄格子が入った部屋でありました。(T_T)
子供の頃、実家の近くにあった精神病院の佇まいを思い出したのです。
部屋は、以前のブログ記事『底を尽く(2)』で書いた、
二度目に入院させられた病院のように、精神病院を思わせる独房ではなく、
他の患者2人もベッドを並べた、ごくごく普通の部屋でありました。(・∀・)
その時のお二人の入院患者も、名前は忘れてしまいましたが、
きさくな方逹で、お顔と会話内容などは今でも思い出せます。
お一人は、京都の宮津か何処かの田舎から、親族に促されて、
初めて入ってこられたそうでした。酒で仕事を無くして困っておられました。
地下鉄の乗り方も解らなかったと言っては頭を掻いて、
田舎者だけれど実直そうな、頭の低い穏やかな方でした。
もうひと方は、京都の中心部河原町近隣に大きな花屋を構え、
祇園や木屋町周辺の飲食店を常連客としている老舗の御主人。
営業自体は、息子家族が切り回されてるようで、半分御隠居といった所でしょうか。
金子(きんす)の心配もなく、優雅に飲んで過ごしていたのでしょうが、
酒が止まらなくなって、これも、家族に入院させられたとの事で、
未だに、アル中ではないと、時折訪ねて来る奥さんに憤っていましたが、
物腰は穏やかで、他人と諍いを起こすタイプではありません。
そんな御仁お二人と同じ部屋で童子は打ち解けて、
ゆったりとした入院生活を送ることになりました。
1週間で酒は抜け切ったようで、晴れて、鉄格子のない大部屋に移動しました。
同部屋のお二人も一足先に三十人位の大部屋仲間です。
朝は、掃除とラジオ体操から始まり、朝食の後から、
依存症についての看護師からの勉強会などのメニューが目白押しにあり、
空いた時間には、先達が寄贈していった書物を収納した本棚から、
もっぱら小説の類を取り出しては読んでおりました。
中島ラモの『今夜、すベてのバーで』という単行本も置いてあり、
読み耽けましたが、なんと酷いアルコール依存症の人もいるものだな、
まだ自分は序の口だから世界が違う、という程度の認識しかなく、
今思えば、なんと誤った解釈を身勝手にしていたものでした。(≡ω≡.)
もう一人、40歳近い会社員で、気の合う人もいらっしゃって、
仕事関係の話も共通点があり、結構インテリっぽくて話題に事欠かず、
童子は退屈はせずに、大部屋でも入院生活を粛々と過ごしてゆきます。
2週間ばかり経過すると、昼間の講義だけでなく、夕食を早めに終えると、
夜のレッスンに数人ずつのグループで京都の街に繰り出す事になります。
院外の環境で飲酒しないか、先輩と各人各人が相互に見張る事になります。
ミーティング参加の際には、みんなで飲めば怖くないという事態は起きませんでしたが、
1ヶ月ちょっと経過して許される1日帰宅などでは、再飲酒される輩も数人いらっしゃいました。
院外飲酒の罪は大きく、再度、隔離室送りとなります。
再犯が重なり更生の見込みが無いと院長先生に判断されれば、
どこぞの党の議員のように病院から除籍されるのであります。
京都市内で毎夜何処かで開催される断酒会やAAのミーティングに、
体験参加するのですが、これが、その時分の(今でも)童子には、
久々のシャバの空気は味わえても、なんとも苦手な行でありました。
何処に行っても、参加者の自分自身の暗い体験談の話ばかりで、
何も身に付かねえなあ。と、退屈な時間に感じていました。
また、体験参加者にも発言を求めるミーティング会場も多くて、
いたってシャイな童子には、これも甚だ苦痛に感じておりました。
しかし、このアルコール専門病院の標準回復コース3ヶ月の内、
確か20回位は院外研修に参加しかなければ退院の条件に適合しない
との事だったように記憶しています。
いい年をしたおっさん逹が、小学生のラジオ体操の出席票のようなカードを渡されて、
行く先々の断酒会やAAで、参加の証跡としてスタンプを押してもらうのでありました。(´・ω・`)
このシステムにだんだんと根が天の邪鬼な童子は、
なんとなく、なじめなくなっていきます。
そんな、形式的なものではないだろうが。治療ってもんは。
という思いが沸々と鎌首を持ち上げてまいりました。(`・д・´)
(再度つづく)
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この記事へのコメント
世の中には同情を引く病とそうでない(むしろ蔑まれる)
病があり、アル中はまさにそれで医者からしても
なんか患者を上から目線で同情どころか小ばかにしたような感じであると綴っている方がいてそうだなあと思いました。
私はアル中ですがプライドが高いようで断酒会とかに参加できないのはそういうのが絡んでいる気がします。
童士さんはほんとうにこんな酷い状態から今まで回復されて
尊敬の念さえ感じます。
このブログはこころの支えです。
今日で断酒113日目(泣)
こんにちは。
確かに、ブログ記事『同情されない病気』で書いたように、
映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の中で、
西原理恵子が前夫である鴨志田の依存症について、
専門病院で相談している場面で、医師が、
「この病気が、ほかの病気と決定的に違うのは、
”誰も同情してくれない病気”ということです。医師でさえも。」
というくだりがあります。
断酒継続、頑張ってください。
こんばんは。
う~ん。確かにドロドロ状態ですね。
よーくわかります。
ただ、まだ御家族が、いらっしゃるだけ、
私の底を尽いていた日々よりかは、
ちょっとマシかなと思いますが、
どこかで区切りを着けなければ、
際限なく悪い方向に向かいそうな。
ところで、どういう病院なのでしょうか?
「鎌首を持ち上げて」からの顛末が、
楽しみな私(笑)。
それもこれも、過去の話として読めるから…。
本当にタメになります。
渦中にある人たちの支えとして
ブログ更新して下さいね。
おはようございます。
私も連続飲酒発作に陥った時は、
気温が高いにもかかわらず、寒さを感じて、
5月なのにストーブを点けて震えていた日々を
思い出しました。
私の過去のブログ記事で書いたように、
病院を限定せず、自分に合った施設を探すのも一手かと。
この手の病気の対処法は、私の経験上、
病院や医師によって大きく変わるような気がします。
おはようございます。
過去の話を書く方は、当時を思い出して、
幾分辛い思いも湧いてまいるのであります。
少し、後悔の感でセンチメンタルにも。
ご支援ご鞭撻、ありがとうございます。