2015年02月08日
今回の記事は、前回とは違って、すべからくのアルコホーリックの方々に
読むことをお薦めいたします。
おとといの退社時、通勤電車に揺られての帰り。
電車の扉上にあるCMディスプレイに目を遣っていると、
どこの酒造メーカーかは気づきませんでしたが、
ビールのコマーシャルが流れておりました。
十人ばかりの男達がビールを一気に煽って、
いかにも「ウマい!」という苦み走った表情で、
言葉を発せずとも、購入意欲をかきたてております。
童子も、ウーン旨そうだなあ。と、ずっと以前の記憶が舌や喉越しに
蘇ってきて、夏場の汗を搔いた後の一杯は格別だったなあ。
いやはや至福の一杯だよね。などと想像力が湧き上がってまいります。φ(.. )
電通か博報堂かは知らないけれど、流石にマーケッティングを心得ております。
しかし、残念かな。あいにくと季節は真冬。
夏場の誘惑から比べればちょっと迫力に欠ける。
とはいえ、ビールの飲酒欲求が搔きたてられたのは否めず、
今月末で、断酒2年目を迎える童子ではありますが、
まだ、飲酒欲求が残っているんだなあと、考え込みました。
考え込みついでに、童子自身の飲酒欲求を分析して見ると、
現在(おそらく昔も)は、3つのタイプの欲求がある事に気づきました。
一つは、爽快感を求めるもの。
喉越しの快楽といっても良い。
運動したあと、汗を搔いた後などに、さっぱり感を求める欲求。
これは、基本的には喉越しの快楽なので、特段とアルコールを欲しているわけではない。
ビールに代表されるタイプの酒が主に対象となるけれど、
これは、発泡性のノンアル飲料で十分代替できるようになっている。
近年のノンアルビールの技術は相当なもので、一瞬アルコールが入っていて、
酔いが回るような錯覚すら覚えるのは、童子だけでありましょうか。
とは言え、もう何か月もノンアルビールも口にはしていません。
もう自分で買うことも無くなりました。
どうしても避けられない飲み会で、仕方なくオーダーする程度のものです。
というか、ノンアルのくせして、国税はアルコールなみの酒税を掛けているのではないか。
高すぎるのである。しかも、セブンイレブンで、20歳未満ではありませんと、
意味も無いレジのボタンを押さされるのに、無性にムカつくのである。
土下座させたろか! (゚皿゚メ) いや、いや、危ない、危ない・・・(≡ω≡.)
二つ目は、愉快感を求めるもの。
皆で盛り上がって、スナックでカラオケを唄い、
御愛想とは重々解ってはいても、
「童子さん。お上手ですねえ。」などと、ママや若い娘に言われると、
ヘラヘラと軽薄な童子は有頂天になるのであります。(゚∀゚*)ノ
強い酒は要らない。ほんのりと気分よく酔える程度の雰囲気を出すものでよい。
童子は皆でガヤガヤと飲みに行くのは昔から好まない。
気心の知れた二三人で、盛り上がるタイプである。
ただし、時代の移り変わりで、そういった友人もいなくなった。
結局は、孤独な心を癒す場をスナックやバーに求めていたのでしょう。
飲み屋に行ってカラオケを唄う事も、もう二年間も御無沙汰であります。
時たま、昔の”栄華”を思い出して、YOUTUBE一人カラオケを、こっそりやっておりますが、
誰か褒めてくれる者が居るわけでもなく、唯々虚しくなるだけであります。・・・情けない。(´・ω・`)
酒を飲まずに社交できるには、今少しかなあ。
以前は全く人類とは認めていなかった下戸の人の方が、
話が合えば、コーヒー一杯で何時間も付き合えるようになったけれど。
三つ目は、忘却感を求めるもの。
何もかも忘れて、陶酔したい欲求である。
アルコール依存症は緩慢なる自殺であるという表現があります。
現世の柵(しがらみ)をかなぐり捨てて、泥酔の魔境へと逃避してゆく。
(小向美奈子、またやりましたね。アル中、シャブ中、二重苦なんかなあ。)
壊滅が快楽にもなりうる一番危険な酒の飲み方であります。
待っているのは、すなわち連続飲酒発作の蟻地獄。
この陶酔感も忘れた訳ではありません。
時折、疲れて家路に向かう道すがら、
ああ、このまま呑み潰れてみたいなあ、なんてフト脳裏に過る事も。
しかし、いくら断酒しても一旦依存症になった以上は、
現在の科学を持ってしても、寛解はあっても回復はないのです。
不治の病であります。
という事を、嫌というほど体験してきました。
一杯の杯も砂上の楼閣のごとき起爆剤になるという事を
ようやく数十年掛けて、依存症者の死亡平均年齢を幾つも超えてから
運よく悟った童子は、二度と手を出す勇気はないのです。
以上、童子の飲酒欲求の分析でありました。
冒頭で記したとおり、今月末で断酒2年間の通過ポイントを迎えます。
吾ながら、良く頑張ったものだと思います。
やっぱり、カエルよりは、ほんの少し利口でありました。(・◇・)ゞ
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この記事へのコメント
おはようございます。
断酒、私も何回となく失敗してます。
病院も何カ所か行きましたが、失敗すると、
その病院には行きずらくなります。
断酒は、水前寺清子の唄のように、
一歩下がって(スリップ)、二歩進め(断酒)という
訳にはいかないように思います。
私も、下がって、下がって、最期は進めなくなって、
それで、どうしようもなくなって、
抗酒剤を入手するためだけに、病院に行きました。
1-2カ月で抗酒剤も毎日は必要なくなり、
出張など環境変化があるときのみ予防として
使うようになりました。
今は、通院は単なる儀式です。
2カ月のサイクルが無理なく定着しています。
自分に合った方策と”思い”を
編み出す事が肝要だと思います。
こんばんわ。
とにかく酒を断つ思いを、
僅かでも感じる事となりうる何かに繋がる事。
それを継続する事。しかないと思います。
私は、病院に繋がる事が途中で嫌になり、
AAに繋がりを求めましたが、これも性に合わなくなり、
最期に、どうしようもなくなって、
数軒目の病院の扉を叩いたのです。
その病院の医師の無機質さが性に合ったのだと思います。
今までの病院と違い、自助会の言葉すら出さない医師たち。
行くのが苦にならない医師のいる病院を見つけたのが、
私にとって、良かったのだと思います。
しばらくは、頑張って診察を続けられる事ですね。
それで家族も安心されるのでは、と思います。
おはようございます。
私は、以前のブログ「断酒8ヶ月目での失敗」で書いたように、
魔の差す瞬間がある時期のように思います。
もうひと踏ん張り、
まず1年間、頑張って見られたら、大分様相は変わると思います。