2016年08月

2016年08月25日

今月末で、3年半断酒したことになります。
もう、酒の無い生活が当たり前となっており、
飲んだくれていた数十年前から数年前までの堕落しきった生活が、
夢の中の話だったようにも思える今日此の頃であります。

なぜ、あれ程までに、飲まなければならなかったのか。
今となっては、分析する必要性も感じなくなっています。
恐らくは、DNAに起因する依存体質のような気がします。

祖父は、完璧なアルコール依存症でした。
過去の記事『アルコール依存症の遺伝性』でも書いたように、
最期は、入院中に病院を抜け出して飲酒の挙句亡くなりました。

親父も大酒飲みで、家族に家計に散々迷惑を掛けた輩です。
しかも、若い頃は凶暴な酒乱でありました。
ただ、晩年は、酒は嗜んではいたものの、
童子や祖父の如きアル中という状態までは陥った事はないようです。

思うに、アル中は隔世遺伝するのかも知れませんね。
童子に到っては、アル中と酒乱も共存してしまったようです。
しかし、それでもなんとか、祖父のように
酒浸りで一生を終ってしまう事態だけは回避できそうな。
そんな気がしております。

あと何年、何十年生き長らえるかも知りませんが、
多分、もう飲む事はないように思います。
3年半の自戒が功を奏したのか、
酒の渇望よりも、自滅の恐怖と、酩酊から覚醒した後の心身の嫌悪感が
圧倒的に優位となるようなシナプスが脳髄に形成されたようです。

どんな場で、どんな人に、どんなに酒を勧められようと、
たった一滴のアルコールも拒絶する強い意思が形成されました。
禁酒を戒律とする宗教者の如く。
しかし、童子は依然、根っからの無神論者の罰あたりですが。φ(.. )

飲んだくれていたころは、酒のない生活など思いもよらず、
診療内科に初めて連れられて行った時や、
始めて自助会に嫌々参加させられていた時なんかは、
本気で、一生酒の無い生活を送る事など
とてもじゃないが、怖くて想像できなかったものでした。

しかし、こうして3年半、一滴も飲まずに生きて参りました。
飲酒時代に比べると、性格は到って温厚になっている様子です。(・∀・)
頭脳明晰とは言えませんが、飲酒時の如き支離滅裂、記憶喪失
ということは皆無となりました。
過去のダメージの後遺症か、記憶失念は結構増えてまいりましたが。

日々は、穏やかな風のように通り過ぎてゆきます。
これが、普通の人々の生活なんだなあと、
成人を過ぎて、ようやく数十年後に初めて悟りました。

ともかく、二度と撃沈しないよう今後も精進したく思います。
こんどスリップしたら、それは必ず死ぬ時でありますから。

本日は、真面目な真面目な童子の科白でありました。( ̄ー ̄)


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2016年08月09日

先日、ネットのニュースを見ていると、こんな記事が目に飛び込んで来ました。

『飲酒運転止めようとした妻ひいた疑い 大垣、38歳夫逮捕』

『岐阜県で、夫の飲酒運転をやめさせるために、2歳の息子を抱いた妻が夫の車の前に横たわりました。
夫はそのまま車を発進し、殺人未遂の疑いで逮捕されました。
現行犯逮捕されたのは、岐阜県大垣市の建設設備業××容疑者(38)です。
警察によりますと、××容疑者は1日午後11時40分ごろ、
2歳の次男を抱いて車の前に横たわり、飲酒運転を止めようとした妻(41)を自宅の前でひきました。
車は妻に乗り上げ、妻は腰を打撲する軽いけがをしました。
2歳の次男にけがはありませんでした。
 ××容疑者は「覚えていない」と話し、容疑を否認しています。
逮捕時の呼気検査でアルコールが検出され、酒気帯びの状態だったとみられる。』

 
・・・・・・・・

この男は、妻子よりも飲酒運転を優先したのであろうか。
否、運転して更に酒を飲みに行こうとしていたに違いない。
妻子の命よりも酒を優先したのであろうか。
 
しかし、かく言う童子も、全くもって人の事をとやかく言える身の上ではない。
飲酒運転については、過去のブログ記事で、何度か書いたように、2度の人身事故を起こしてしまった。
(参照:『飲酒運転事故』『飲酒運転事故(2)』)

もう少し酷い状況下であれば、もしくは現在の法制度ならば、
おそらくは、交通刑務所送りになっていたかも知れない。
アルコール依存者は、その症状の重度の状況下では、
飲酒運転を回避するには非常に難しいものがあります。
 
『飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。』
という標語が、以前は、飲酒運転防止のキャンペーン標語になっていた。
しかし、健常者ならともかく、依存症者には、この標語は意味をなさない。
 

飲めば、童子の如き小心者であろうが気が大きくなってしまう。(・∀・)
自分が酔っている事自体の意識が薄れる。
社会的通念(もともとないけれどφ(.. ))も乏しくなる。

飲んだから乗るまい、というような倫理感が、
酔っぱらった脳味噌の中では、とうてい働くはずはないのである。

また、乗るなら飲むな という文言も更に意味をなさない。
飲むなと言われて飲まずに居られるものならば、
そもそも、アルコール依存症ではないのである。(´・ω・`)

従って、この標語が依存症者には、意味をなしてはいない事を、
公安関係者は理解しなければいけない。

であれば、どういう標語なら、依存症者の飲酒運転は避けられるのか。
その答えはないのである。
標語如きの生易しい程度のものでは効く術もないのだ。

これは、過去飲酒運転を行ってきた童子にして思い起こして見れば、
まずは、多少の酒なら大丈夫という感覚があった。
その多少が、最初はビール一杯程度の量ならば、上手くゆく。

段々と量が増えてゆくが、酒にも強くなってきていて、
自分は、大概大丈夫だという錯覚に囚われて来る。
 
おそらく、片足で目をつむって見れば、一目瞭然だろうが
シートに座ってハンドルを握るだけの姿勢では、
そうそう酔っぱらっている感覚は生じて来ないのである。

実際は、運動を司る神経系は麻痺しているにも関わらず、
自分は、そんなに酔ってない、十分素面以上に注意しているのだという、
誤った脳神経の信号を誤解して、突っ走ってしまうのである。

今、当時のシーンを振り返って見ても、背筋に冷や汗が出る思いである。
もしあの時、住宅街の狭い路地を突っ走っていた目前に、子供でも飛び出していたなら、
もしあの時、路面電車の軌道内を突っ走っていた目前に、路上を横断する人が居たなら。
 
何かが飛び出せば、確実に避けられない状況下で、
酔いの勢いで疾走していたシーンを思い出して、冷や汗が出て来るのだ。

以前の記事にも書いているが、ハインリッヒの法則というのがある。
この法則は、労働災害における経験則の1つであり、
『1つの重大事故の背景には、29の軽微な事故があり、
その背景には300の異常が存在する』という法則です。

教習所や、公安の免停者対象の勉強会などで聞かされる奴である。
『300回のヒヤリとする場面に出くわすと、
 その30回は事故となって、そのうちの1回は大事故となる。』
という、あれである。
 
ただし、これは一般人のケースの確率論であって、
アルコール依存症者においては、ハインリッヒの法則は有効ではない。
 
童子の過去の経験則に基づいて言えば、

『飲酒運転自体が、そもそもヒヤリの状態なので、
 300回どころか、30回のヒヤリを待たずとも、必ずや事故を引き起こし、
 警察や消防の御厄介になり、ジ・エンドを迎える。』 

これを、『酒呑童子のアルコウィッヒの法則』といいます。(つまらんφ(.. ))

飲酒運転の覚えのある、依存症者の方!
依存症が寛解するまでは、車を手放す事をお薦めします。

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