2015年04月

2015年04月25日

という訳で、退院後ものの1時間で飲酒欲求がぶり返した童子でしたが、
流石に2ヶ月近くの入院期間での研修研鑽の賜物なのか、
一気飲みするにはまだ幾何かの呵責を覚えるのでありました。

トリスのポケット瓶を、なんとか1瓶に抑える事に成功し、
コーラなんかを、アルコール臭が目立たぬまで胃の中に注ぎ込み、
ゆっくりゆっくり時間を稼ぎ、自宅にたどり着くなり、
久し振りの家なのに、「ああ疲れた。」と自室に潜り込むのでした。(≡ω≡.)

土曜日曜と、自宅では家人の厳しい眼もあり、じっと我慢の子で過ごして、
全く気が進まないながらも、2ヶ月近く欠勤していた会社に、
なんとか意を決して、月曜日から出社する事となりました。

童子は人事部に赴き、新部署とは名ばかりの左遷部署に案内されます。
新部署には、童子の前部署で一番評価点数の低かった部下2名も
何故か童子と一緒に配属されておりました。φ(.. )

新部署は、本社社屋とは遠く離れた、町工場が集まった一角に建った
見るからに古ぼけた安アパートの一室でありました。
1DKの部屋に机が3つ。それだけの配膳であります。
附属している剥き出しの台所が、妙に違和感を感じさせます。

童子は入院していたので、部下2名は、2ヶ月足らずですが先輩となります。
しかし、彼らは全く仕事は無いようで、単行本を読み耽っているばかりです。
ああ、やっぱりそういう事か。と、童子は納得します。

童子は、そんな職場という名の幽閉場に、
毎日家人の作ってくれた弁当を持参して出勤することになります。
しかし、窓際をも通り越した、全く仕事はない職場です。( ・Д・)

定時ぴったりの出社、定時ぴったりの退社という生活で、
帰り道は日の明るいうちからトリスのポケット瓶に、
行ったその日から、たちまち嵌ってしまいました。

暫くして、小憎らしい顔立ちの人事部長に呼び出され、
正確な文言は忘れましたが、極めて巧妙な言い回しで、
「酒呑童子さん(本当は本名)。さぞや退屈でしょう。
 人事部は中途採用の関係で人材会社にも脈がある。
 才能を違う場で生かすのも一手ではないですか。」
と、体の良い退職勧告である。(゚皿゚メ)

どの道、当時の会社には居座るつもりは無かったので、
(というより、やはり、いたたまれなかった。(TДT))
願ったり叶ったりと、暖かい(?)進言を受入れて、
人材紹介会社に早速転職の案件を申込みます。

しかし、オイルショックの余韻が、まだ残っていたのか、
思うような求人は、なかなかありませんでした。

童子の前部署の下請の会社にも担当だった営業を通じて、
上層部へ入社面談の計らいをお願いしましたが、
酒の話が既に行き渡っているのか、良い返事は返ってはきません。

だんだん童子は、焦りと苛立ちが募るようになり、
日々の酒量も、じわじわじわじわと増えてまいります。
既に、入院前の50%程度までに、リカバリー完了状態でした。

しまいには、せっかくの面接に二日酔いの酒臭い息で出掛け、
先方の面接者が、途中で部屋の窓を開け放つ場面もあり、
「ああ~。終わったか。」と、うなだれて帰ったり。

折角、東京まで行って、1次面接は受かっていたのに、
最終の大阪での社長面接の2時間前に、まだ大丈夫だろうと、
新大阪駅のキオスクで氷結を煽り、面接に臨んだけれど、
5分もせぬうちに、その社長は席を立ちました。φ(.. )

(またまた、続くのです。はよお書け、なんて言わないで。。。)

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2015年04月18日

短期間の入院では効果は無いという医師の説得も振り切って、
強引に退院の手続きを進めて行き、いよいよ迎えた退院日。
童子の門出を祝うような、清々しい五月晴れでした。
(というよりは、極道の出所といった方が正解か。。。)

病院での荷物をまとめ、入院中に懇意になった方々に挨拶回りです。
「もう、戻ってくるんじゃないよ。」と、
隔離室で仲良くなった御二人も励ましてくれました。

看護師さんにも、不機嫌な医師にも御礼の言葉を残して、
ようやく病院の正門を、おごそかに(・◇・)くぐり抜けました。

AAや断酒会の参加時には、別の関係者用通用門を利用していたので、
久し振りに、二ヶ月近く前に入院した時の正門と対峙するのは、
流石に感慨深いものが、若干センチな童子の心を過ります。φ(.. )

振り返り青空を仰ぐと、二階の隔離室の鉄格子が眼に入って来ました。
中途半端な退院になってしまったけれど、いい経験になったのかな。
二度とお世話にならないように頑張ろう(。・ω・)ノ゙
という真摯な気持ちが心の底から湧き上がります。

最寄の地下鉄駅まで、20分位の道程を、
ゆっくりとシャバの空気を吸い込んで歩きます。
そして、地下鉄に乗りましたが、自宅へは直行せずに、
地下鉄の途中駅の御池で下車したのです。

実は入院中に色々と今後の身の振り方を考えていました。
未だ頸にはなってはいないので、一旦会社には戻るけれど、
もう在籍するには気分が重すぎるのでありました。
会社も暖かく迎える筈がないのは当たり前の話です。

すぐに転職活動に入ろうと思い、病院の電話帳で調べた、
とある京都の地場の人材紹介コンサル会社に
病院の隙を見ては、隠れて携帯で連絡を入れておりました。
(病院内では、携帯電話の使用は厳禁でありました。)

AA・断酒会への体験参加の合間に文書も投函しておりました。
一旦、烏丸御池近くの人材会社に伺う手筈を整えていたのです。

その会社は、かなり古びた、やけにちっぽけなビルの最上階というより、
最上階と屋上の間に不格好に作られた中二階のような
えらくまともでない造りの部屋だった事を覚えています。

ヘッドハンティングなどを標榜にしていましたが、経営状態が悪そうで、
会社の代表からは、あまり明確な回答は得られませんでした。
「おじゃましました。」と、童子が席を立ち、入口から出て扉が閉まる瞬間、
「つぶしが効かない・・・かな」との呟きが微かに聞き取れました。

畜生!と腹の中で呟いて、エレベータにも乗らず、
最上階から階段を走るように降りて、ビルの表に飛び出しました。(゚皿゚メ)

と、その時、入院中、不思議と一度も襲って来なかった飲酒欲求が
突如として襲いかかってきたのです。(((( ;゚д゚)))

今まで地下に深く隠れていた巨大な怪物が、
地中から裂けたアスファルトを持ち上げてメラメラと、
あのアメリカのSF映画さながらの状態で現われたのでした。

その飲酒欲求に憑りつかれた童子は、たちまちゾンビ状態と化し
酒を売っている場所を求めて、ひたすら街々を彷徨うのでした。
三条あたりの河原町か、寺町か錦市場かは忘れてしまいましたが、
買ったのが、トリスのポケット瓶であったのは、今でも覚えています。

恐る恐る瓶の口を舐めるように2、3ml程度喉元に注ぎます。
ああ!ああ!酒の味だ!また、3ml。ウィ~!また、3mlと。
じわじわと胃の腑あたりが、快く熱くなってまいります。

忘れていた快感を呼び起こせば、退院後僅か、ものの一時間余りで、
入院前の精神構造に完全復活を遂げてしまったのであります。

(優しくない名無しさんが、コメントで予測された
 とおりの結果となってしまったのでした。(´・ω・`))

(まだ、続くのであります。)

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2015年04月12日

病院の形式的な治療方針に疑問を抱きつつも、回復は順調で、
1ヶ月以上の歳月が経過して行きました。
しかし、断酒会やAAの例会に出る事には、次第に抵抗感が増長していきます。

北大路のカトリック教会や、壬生の福祉会館や、
宝ヶ池の基督教教会や、塩小路の市民活動センターや
などなど、断酒会、AAを合わせれば、平日も土日も、
日々優に10箇所以上の例会場が開催されています。

入院中の3-4人毎のメンバーは、あらかじめ決められた会場へ、
地下鉄とバスを乗り継いでは、ほぼ毎日出席を繰り返すのです。
何処の例会に参加しても、従前のアルコール依存症を潔く認めて、
羊のようになったアル中皆さん達の自省の呟きのコーラスばかり。

大体、夜7時あたりから9時位までのミーティングが多く、
病院に戻ったときには、10時を回り疲れ切る日程となります。(T_T)

ミーティングなんて、つまらねえし、意味があるのかねえ。
大体、童子は確かに先祖代々の血筋もあって大酒飲みではあったが、
入院するやいなや飲酒欲求は無くなり、今や酒を飲む気もしない。
入院後も、アル中の本などに書かれている禁断症状なども全く発生はしていない。

という事は、いわゆる依存症とはタイプがそもそも違うのだから、
こんなアル中の塊みたいな、おっさんやおばさん集団の断酒会や、
年齢層は低く、若い女性も結構いるけれど、アルコホーリックなんて
なにやら西洋の宗教くさいAAも童子には似つかわしくない場所である。

時間の無駄だい。(*`Д')
もう病院で十分心身とも健康体になって回復した。
その証拠に、

・久しぶりに面会に来た妻が、「白目が白くなったね。」と嬉しそうに言った。
 肝臓に負担がかかるほど飲めば、入院前は白目は黄色く濁り血走っていたのである。
 それが、1ヵ月あまりで、すっきりと黄濁がなくなったらしいのだ。(・∀・)

・1ヵ月ちょと経過して許可される1日自宅宿泊に戻った時には、
 娘が、「お父さん別人のように細くなった。顔も浮腫みが無くなって普通の人に戻った。」と喜んだ。
 体重計に乗れば、なんと、1ヶ月半で10㎏以上落ちていた。(☆゚∀゚)

 病院の食事は結構ボリュームが多いけれど、残さず十分摂取している。
 それどころか、おやつも食べている。単に、アルコールを抜いただけなのだ。
 如何に童子は、スポンジの様にアルコール吸収性が高い種族だったのだろうか。Σ(=゚ω゚=;)

・また、例会に通う電車やバスの車窓から、咲き乱れている花々や草木を見ては、
 「ああ、綺麗に花が咲いているなあ。」と、今まで感じた事もなかった童子らしからぬ、
 心の変化も生じて来ているのが自ら自覚できたのである。(*'-'*)

もう大丈夫だい。これは、断酒会やAAの御利益なんかじゃない。
単に酒を飲まなかっただけの話だ。
そして飲酒欲求も全くなくなった。十分、自宅で療養できる。ヾ(´ω`)ノ

会社も左遷されたとはいえ、顔も覗かせておらず気になっていた。

院長に退院の意思を示して、直談判した。
「いいけど、必ず、また戻ってくるよ。」とか言われたようだったが、
半分強制的に退院する手筈を整えてしまった。

そして、妻が退院の日に、付添に来るというのも、
「大丈夫。遠いからいいよ。いい親父が恰好悪い。一人で帰れる。」
と自信満々に断り、目出度く退院日を迎えたのであったが。。。(´・ω・`)

(まだ、続きます)

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2015年04月07日

さて、そのまま入院する腹をくくった童子でありましたが、
よもや当日からとは考えてもおらず、入院支度は皆無で、
夜までに、身の周りの物は妻が揃えてくるという事で、
とりあえずは着のみ着のままで、お世話になる運びとなりました。

重症患者は、最初の1週間程度は隔離室で過ごすという規則でした。
看護婦さんが、四六時中、患者の動向を監視していて、
点滴や検査を受けながら、まずはアルコールを体から抜く処置を取られます。

隔離室は、外から病院の外観を見て怖気づいた、
窓に不気味な鉄格子が入った部屋でありました。(T_T)
子供の頃、実家の近くにあった精神病院の佇まいを思い出したのです。

部屋は、以前のブログ記事『底を尽く(2)』で書いた、
二度目に入院させられた病院のように、精神病院を思わせる独房ではなく、
他の患者2人もベッドを並べた、ごくごく普通の部屋でありました。(・∀・)

その時のお二人の入院患者も、名前は忘れてしまいましたが、
きさくな方逹で、お顔と会話内容などは今でも思い出せます。

お一人は、京都の宮津か何処かの田舎から、親族に促されて、
初めて入ってこられたそうでした。酒で仕事を無くして困っておられました。
地下鉄の乗り方も解らなかったと言っては頭を掻いて、
田舎者だけれど実直そうな、頭の低い穏やかな方でした。

もうひと方は、京都の中心部河原町近隣に大きな花屋を構え、
祇園や木屋町周辺の飲食店を常連客としている老舗の御主人。
営業自体は、息子家族が切り回されてるようで、半分御隠居といった所でしょうか。

金子(きんす)の心配もなく、優雅に飲んで過ごしていたのでしょうが、
酒が止まらなくなって、これも、家族に入院させられたとの事で、
未だに、アル中ではないと、時折訪ねて来る奥さんに憤っていましたが、
物腰は穏やかで、他人と諍いを起こすタイプではありません。

そんな御仁お二人と同じ部屋で童子は打ち解けて、
ゆったりとした入院生活を送ることになりました。
1週間で酒は抜け切ったようで、晴れて、鉄格子のない大部屋に移動しました。
同部屋のお二人も一足先に三十人位の大部屋仲間です。

朝は、掃除とラジオ体操から始まり、朝食の後から、
依存症についての看護師からの勉強会などのメニューが目白押しにあり、
空いた時間には、先達が寄贈していった書物を収納した本棚から、
もっぱら小説の類を取り出しては読んでおりました。

中島ラモの『今夜、すベてのバーで』という単行本も置いてあり、
読み耽けましたが、なんと酷いアルコール依存症の人もいるものだな、
まだ自分は序の口だから世界が違う、という程度の認識しかなく、
今思えば、なんと誤った解釈を身勝手にしていたものでした。(≡ω≡.)

もう一人、40歳近い会社員で、気の合う人もいらっしゃって、
仕事関係の話も共通点があり、結構インテリっぽくて話題に事欠かず、
童子は退屈はせずに、大部屋でも入院生活を粛々と過ごしてゆきます。

2週間ばかり経過すると、昼間の講義だけでなく、夕食を早めに終えると、
夜のレッスンに数人ずつのグループで京都の街に繰り出す事になります。
院外の環境で飲酒しないか、先輩と各人各人が相互に見張る事になります。

ミーティング参加の際には、みんなで飲めば怖くないという事態は起きませんでしたが、
1ヶ月ちょっと経過して許される1日帰宅などでは、再飲酒される輩も数人いらっしゃいました。
院外飲酒の罪は大きく、再度、隔離室送りとなります。

再犯が重なり更生の見込みが無いと院長先生に判断されれば、
どこぞの党の議員のように病院から除籍されるのであります。

京都市内で毎夜何処かで開催される断酒会やAAのミーティングに、
体験参加するのですが、これが、その時分の(今でも)童子には、
久々のシャバの空気は味わえても、なんとも苦手な行でありました。

何処に行っても、参加者の自分自身の暗い体験談の話ばかりで、
何も身に付かねえなあ。と、退屈な時間に感じていました。
また、体験参加者にも発言を求めるミーティング会場も多くて、
いたってシャイな童子には、これも甚だ苦痛に感じておりました。

しかし、このアルコール専門病院の標準回復コース3ヶ月の内、
確か20回位は院外研修に参加しかなければ退院の条件に適合しない
との事だったように記憶しています。

いい年をしたおっさん逹が、小学生のラジオ体操の出席票のようなカードを渡されて、
行く先々の断酒会やAAで、参加の証跡としてスタンプを押してもらうのでありました。(´・ω・`)

このシステムにだんだんと根が天の邪鬼な童子は、
なんとなく、なじめなくなっていきます。
そんな、形式的なものではないだろうが。治療ってもんは。
という思いが沸々と鎌首を持ち上げてまいりました。(`・д・´)

(再度つづく)

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2015年04月01日

このブログ記事にも何度も書いてきたが、
3月末から4月初めに掛けての季節は、
童子にとっては、何か狂い目の時期であった。

童子だけでなく、世間一般にとっても、
精神的に情緒が不安定になる人が多いと思う。

連続飲酒発作や大きな底尽きや事件などを思い返すに、
大半が毎年の3月から4月に集中しているのだ。

勿論、断酒してから、この2年間は何事も無く静かに生息しているが、
ここの処、先月から花粉症で頭が重かったせいもあるが、
また、仕事関係の憂さが累積していたせいもあるが、
なんとなく気分がすっきりとしないのである。φ(.. )

こんな時に、青空一杯に見事に満開となった桜を見つめても、
散り始めの花弁が却って何か空虚さを誘発してくるのだ。(´・ω・`)

そんな気分の中、ふと、15年前の入院を思い出したのである。

当時の会社で、仕事上結構責任のある立場にいた童子は、
仕事の重責の中で、幹部との折り合いが、うまく回らず、
もともと大酒呑みが、憂さを晴らす手段を更に酒に求めて行った。

会社から一歩でるや、酒に救いを求めていた。
同僚も家族も、ストレスを解消する糸口にはならず、
童子の場合、逃げる術は酒しかなかったのである。

そんな中、4月からの組織変更で、童子は3月末の金曜日に
役員室に呼び出され、幹部から突然転籍を告げられる。
何か新規に作られた部署であった。つまり体の良い左遷である。

仕事は頑張ってはいても、毎日毎日の深酒から仕事にも影響し、
そういう評判は、自分がわからないでも、
じわじわと知らぬところで包囲網が張られてしまっていたのだ。

身から出た錆とはいえ、遂に来たかという自責の念と、
反りの合わない幹部への噴怒が入り混じり、
一晩中、木屋町で飲み続けた記憶がある。

午前様で家に辿り着いた童子は、まだ酒を飲み続けていたが、
何かを察した前妻が事情を聞いて来た。
その時、初めて童子は包み隠さずに正直に話したようだ。

「あなたは頑張って来たのだから、もう働かなくてもいいよ。
少しの貯えはあるから。病院に行って見よう。」
ポツリと妻が言った。

童子は、月曜日から左遷部署には格好が悪くて出社自体に躊躇いがあったため、
肝臓の治療という名目でも作って、しばらくの間、入院してしまい、
身の振り方でも考えるか、という思考回路で、月曜日に病院に行くことに決めた。
そして、入院中は流石に飲めないと思い、月曜日の朝まで飲み続けた。

月曜日の朝。てっきり肝臓系の病院に行くのだと思っていたが、
妻に連れられて行ったのは、京都の北に位置するアルコール専門病院。
何か雰囲気が違う病棟の構えに、根が小心者の童子は怖気づいた。
よくよく見れば鉄格子がついた窓もあるではないか。

医師の面談後、「すぐに入院しますか?」との問い掛けに、
「二三日、考えます。」と答えた。
妻は、「入院して!」と、医師の前で泣き崩れた。(´;ω;`)

ああ、こんな思いをさせていたのかと、
その時酒で濁った脳髄にも一寸の憐憫を感じて、
遂に入院の腹をくくったのである。(T_T)

(つづく)

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