2014年08月

2014年08月30日

2013年2月末日に一念発起、翌日から断酒生活をスタートさせて以来
頑張った甲斐がありまして、明日で丁度1年と半年という期間になります。

断酒を思い立った時に、1年半後に今の仕事をキッパリと辞めて独立するという
人生の区切り目とするため、断酒目標も1年半と設定したのです。

しかしながら、仕事の方は色々としがらみもあって、なかなかフンギリがつかず、
もうしばらくは今の仕事に留まらざるを得ない状態でありますが、
ともかく、一旦断酒の目標自体はクリアできた事になります。

先週の土曜日は、久しぶりのアル専クリニックへの通院日でした。
医師は今回から、新任のドクターに変わっていました。
お互いに自己紹介から始まります。
以前の医師と比較すると口数は3倍くらい多い。

「飲酒欲求は、どうですか?」
「はい、お陰様でほとんどありません。」
「昼間は何をしてはりますか?」
「まだ、仕事をしておりますが。(失礼な!(゚皿゚メ))」

(してはる・・・とは、この医者は京都育ちか。。。)

などと話は以前の医師よりは遙かにスムースに進みます。
「今月で、断酒して1年半になりました。」
「いや~、がんばりはりましたね。
 でも、油断した時に、また始まるものなので、注意しましょうね。」
「はい。十分にわかっております。」

で、またしばらくは、2ヶ月に1回のスパンで通院する事になりました。
懺悔の心を取り戻すのには、丁度、程良いサイクルなんですね。

医師の言葉どおり油断大敵であることは頭では分かっているものの、
酒を飲まない生活が身についてきており、慢心というよりは、記憶が薄らぎ、
過去の重度アルコール依存であった事も嘘のように思える。

これが怖いのであろう。
酒を飲まない。飲酒欲求も湧かない。=依存症でなくなった。
という方程式は、成り立たないのが、アルコール依存症である。

一度罹患すれば、アレルギーといっしょで、体内のどこかに
抗原は潜んでおり、現代の科学でしては除去することはできないのだ。
依存症というアレルギーを抱え込んでしまったら、
一生、マグマを抱えて注意深く生活を営まざるを得ない宿命となっているのだ。

それでも、時折、TVコマーシャルや、映画やドラマのシーンや、電車の吊り広告などで、
美味そうにビールやウイスキーやワインなどを飲む光景が映り込み、昔を思い巡らせば、
「ああ、飲みてえ」という衝動を密かに感じるのは、逆らいようがないものです。(´・ω・`)

まっ、仕方がないね。(T_T)
人様が一生かけて飲むアルコール量の10倍や20倍は、優に喰らっているのだから、
それ以上の贅沢は望まないように慎しみましょう。

お酒のコマーシャルにも、煙草と同じように、
『喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。
疫学的な統計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が
非喫煙者に比べて約2倍から4倍高くなります。』ではなくて、

アルコール健康医学協会や厚生労働省の御担当者は、
酒の商品ラベルや、居酒屋の暖簾や、バーやスナックのネオン看板にも、
『飲酒は、あなたにとってアルコール依存症への入口であり、
内臓疾患、精神障害、生活破綻、家庭崩壊の原因の一つになります。
疫学的な統計によると、アルコール依存症者の死亡する
平均年齢は52歳から53歳となります。』と、
きっちりと刷り込むよう指導すべきではないでしょうかね。

とにかく、アルコール依存症者にとっては、
断酒=生存期間の延長
という方程式は成り立ちそうであります。

断酒継続されている皆様。頑張りましょう。v(^-^)

↓断酒1年半のご褒美にクリックいただければ嬉しいです。


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ctxt0475ctxt0475 at 15:03│コメント(6)トラックバック(0)

2014年08月22日

十数年前、初めてアルコール専門病院に入院しました。
当然、長年の飲酒でボロボロの身体機能に陥っていましたから、
入院して一週間は一般病棟とは違う監視病棟に入れられました。
監視病棟は窓には鉄格子が巡らしてあり、日夜監視付きであって
数人のベットのある部屋からは一歩たりとも外へは出られません。

入院後、二三日して少し落ち着くと、数々の検査を受診させられました。
血液検査では勿論、とてつもない酷い数値を叩き出します。
腹部超音波検査では、当然、脂肪肝や肝臓肥大の所見です。
骨密度も低下しているという情けない測定結果も披露されます。

およそ、いいところなどあろう筈がありません。( ・Д・)
そして最後は別の提携病院に連れて行かれ、極めつきの脳のMRI検査。
初めての検査だったので、なにか仰々しくて、いたく緊張した記憶があります。

1週間後くらいに、再び提携病院に赴いて医師からの診断結果を拝聴。
健常者が100とすれば、95%程度に萎縮しているとの事でした。
頭蓋骨と大脳前頭葉の間に隙間が生じてきているという説明です。
このまま酒を飲み続けると更に悪化し、萎縮した脳は回復することはないと脅されます。

脳の断面写真は見たことがなく、ああ、自分の脳はこうなのかと感慨深げでもあったが、
素人目でも隙間が解るような写真を見せられた時に、何故か不思議と、
安物のブランディの肴として好物であった胡桃をイメージしてしまいました。

頭蓋骨の中で萎縮して干からびた脳髄が、カラカラと虚しく回転している図式である。
ああ、いよいよ痴呆の類に転落してしまったのだなあと、流石に後悔したものです。(´・ω・`)

そうして、病院に入院していた間は、自分でも驚くような素面の真人間に戻り、
病院での毎日のレクチャーや体験発表などを極めて真面目にこなしました。

アルコール専門の大病院で、入院患者は確か4-50人位居たような気がします。
ただ、二三の御仁は病院近くを散歩中に謀らずも飲酒して、監視房に入れられたり、
親しくしていた花屋が家業の気の良い御隠居は、一時帰宅許可で自宅に帰った際に、
飲酒がぶり返して手がつけられなくなり、深夜に救急搬送されて監視房へ戻って来ました。
などなど、数%の患者は、なんらかのゴタゴタを引き起こしていました。

かくいう童子は、人が変わったように規則正しい生活を卒なくこなす優等生でした。
ただし、医師から入院当初指示された三ヶ月の治療期間を全うせずに、
二ヶ月足らずの状態で医師の言う事も聞く耳を持たず、退院を申し出たのです。

すっかりと飲酒欲求も消え失せていたし、もう大丈夫だと勝手に判断していました。
院内のオリエンテーションも聞いたような話ばかりでつまらなくなり、
夕刻からの、市内に数ヶ所ある断酒会とAAへの研修生としての参加にしても、
何処へ行っても酒害を懺悔するお決まりの話ばかりで飽きてしまって、
「もう得るものもなくなった。意味がない。」と家族にも了解を得て満期に至らずに退院。

ところがであります。病院を退院したその日のこと。
自宅への帰路の途中、ぴたりと止んでいた筈の飲酒欲求が突然と鎌首を持ち上げてきたのです。
悪魔に憑りつかれた如く、抗う事もなく酒屋に入りトリスのポケット瓶を入手していました。
道々飲みながら、出所したばかりの極悪非道の罪人の様に、シャバに戻った雰囲気を味わったものです。

それ以降、脳萎縮など次第次第に意識から遠のいて行き、ひたすら飲み続けて来ました。
十数年来、脳のMRIは受けていないけれど、今受診したら一体どういう状態になってるのだろう。
おそらく10%やそこらは更に萎縮したのかもしれないなあ。。。(T_T)

確かに、この数年極めて物忘れが酷くなったのを実感するのであります。
仕事の打ち合わせも、後で議事録を見てようやく、あっ、そうだったな、
と幽かな記憶の淵から這い上がる。議事録がなければ、完全に記憶喪失状態。
こんな話したっけなあってのも日常茶飯事であります。

昨日何を食べたのかも思い出せない事も、ままあります。
家を出た後、ガスは消したか、電気は消したか、不安になって戻ることも度々。
数日前は、朝シャワーを浴びた後、元栓を捻り忘れて、
夜帰って来て水が出っぱなしになっているのを発見し仰天したのです。
来月の水道代が如何ほどのものか今から不安であります。('A`|||)

そんなこんなで、認知症の一歩手前ではなかろうかと不安なる瞬間もあります。

しかし、一度ダメージを受けた脳細胞は基本的には回復することはないようですが、
アンビリーバブルな奇跡的な脳の回復を報道するテレビ番組を見たりすると、
断酒を続けて脳に刺激を与える生き方(わくわくする仕事や事柄)を継続する事を怠らなければ、
多少はリカバリできるのではなかろうかと素人判断で楽天的に構える事にしています。

でもね。首を傾げて頭を左右に揺らせば、胡桃の実のような音が、
何処からかカラコロと聞こえてくる気がするのは何故なのかなあ。
ゲゲゲの鬼太郎のテーマ曲のように、カランコロン カランカランコロン♪ と。(´・ω・`)

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2014年08月14日

昔から夏休みも盆休み近辺となれば、昼は甲子園球場(全国高校野球選手権大会)
夜は『四谷怪談』とか、『牡丹灯篭』とか、『本当にあった怖い話』とか、
熱い夜に背筋が冷たくなるような怖いネタ話特集が、テレビ番組の定番であった。
昨日のテレビ番組を見てても、この傾向は今も変わらぬようだ。

童子も、暇を持て余し飲んだくれていた時分は、休みの日は(休みでなくても)
従順にテレビ局の誘導に従って、酒瓶片手に朝から晩まで高校野球と怪談物で過ごしたものだ。

アルコールが常であった頃は、アルコール以外の事柄に注力する気力は出ず、
そんな脳の状態では、活字を追う行為はしんどくて、
せいぜいテレビを漫然を見てるか見てないか位の動作が関の山でしたね。

今は、あまりテレビは見なくなったが、ネットや書物に疲れたら、
時折気晴らしにチャンネルを回す(古い表現。年代がわかる。)程度である。
(テレビ受信料も、月64GBまでならいくら、見放題ならいくら。
 としてくれれば、ちっとは考えてもよいが・・・・嘘!σ(゚┰~ ))

さて、実は童子は、以前のブログにちらりと書いたように、
未確認飛行物体らしき物は幼少時に一度見た記憶はあるが、
いわゆる霊魂に相当するものは、残念な事に(幸いな事?)今まで拝見したことがない。

ただ何度か、親族や友人の周辺で不可解な現象に遭遇した事件を伺った事はある。
これは、以前のブログ記事『アル中の新婚旅行』で書いた新婚旅行の時の事である。

その日、昼間はハワイのワイキキビーチで寝転がって過ごしてたが、
浜辺ではアルコールは御法度である。依存症者にとっては、いたく辛い場所である。
ルートビア(当時あった、ノンアル飲料)では欲求不満に陥り、
ひたすら夜が到来するのを待ちわびて砂浜で体を焦がしていた。

ディナーはちょっぴり贅沢に、クルージングしながら取ろうという事になり、
大急ぎでホテルに戻り、数本のビールを浴びた後でかけた。

ワイキキの港からオワフ島の何処かの湾の沖合いへ向かった。
ひっとしたら、あのパールハーバーであったのかも知れないが、
実際は何処の湾のクルーズかは、あまり覚えてはいないのだ。

船上のレストランでは早速機嫌よく酔っ払い、
格好よく踊る欧米人に混じり、思い切ってダンスに興じて見たけれど、
酔っ払って足がもつれて情けない醜態を晒してしまい、
旧妻にみっともないと、なじられた記憶は薄ぼんやりと残っている。

日本に戻り、旅行で撮ったフイルムは、妻の母親の住む実家近くにあった
写真屋さんに現像とプリントを依頼した。
まだ世にはデジカメの姿はなく、童子が身銭を切って買った
CANON AE-1という当時は優れものの一眼レフでありました。

フイルム現像ですから当時は数日要していたようです。
現在のネットで画像データをアップロードして1時間もしないうちに
出来上がりのメールが来るサービスなど考えられなかったなあ。


数日後、会社から戻って見ると、妻が浮かぬ顔で待っておりました。
訊けば、実家で母親と出来上がった新婚旅行の写真を見ていると、
その中の3枚に、パイプを咥えた年配の日本人男性の顔だけが、
空中に映りこんでおり、カメラを睨み込んでいたというのです。

取った場所は、洋上を航行しているクルーザーのデッキで、
島や海をバックにした童子1人のカットばかりだったという事でした。

ガラスでの反射などではない写り方だったので、気味が悪くなって、
縁起を担ぐ根っからの京都人である母親は、ネガと3枚のプリントを、
信心している寺か何処かへ持参して、処分供養してもらったらしい。

祟りとか、そんな物にはまるで無頓着で好奇心旺盛でしかない童子は
興味津々で、自分で見たくて仕方なかったのですが、後の祭りで、
その心霊(?)写真には、残念ながらお目にかかってはいないのです。

ちなみに、童子の身内で真珠湾やハワイ近辺で無くなった者は一人もおりません。
やっぱり童子の背後霊がアルコール依存を心配して憑いて来てたのでしょうかね?

ネガもプリントも消失しているし、しかも、おまけに当時の家庭も喪失しているので、
今となっては、遥か昔、昔の幻の出来事ですね。

おそらく、童子の忌避する某放送局の手下である栗山千明のファイリングにかかれば、
嘘くさい科学的めいた分析らしき手法により、物の見事に一蹴される事でしょう。

未確認飛行物体(UFO)や未確認生物(UMO)やオーパーツや怪奇現象などの
超常物記事に、空想豊かな胸を躍らせてきた童子の如き純真な少年(老年)の
心と夢を打ち砕くような、エンターテイメント精神の欠落した番組は止めて欲しいものですね。
(それでも毎回録画はしているがφ(.. )。。。)

タイトルに(1)を付したけれど、続きがあるのかは不明です。
(何かジャンルが違うような気がして(´・ω・`)。。。
 でも、ホントは、もっと怖い話もあるんですね。。。)

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2014年08月09日

前々回の痛風に続いて、アルコール症患者に、ほぼ共通する肝機能障害ですね。
童子も、アルコール症患者の御多分に洩れず、脂肪肝が続いておりました。

健康診断結果を見ると、実に30代から肝機能の異常値の診断がなされております。
診断されても自制する事無く飲み続けていったくせに、何故か不思議と、
その辺りからの健康診断結果を後生大事に保存してあるのですね。

γ-GTPは、100を越え、200も越え、年々上昇して行っております。
GPTもGOTも高値を更新していきます。
40代に入り、ウェイトもぐんぐん増加してきて、遂に脂肪肝の診断が、
超音波検査で、あからさまになって来ておりました。

沈黙の臓器と謂われる肝臓は、臨界点までは物言わぬ控え目で謙虚な方でありますが、
年に1回くらいは、血液検査とエコー検査で、数字と画像で訴えるのですね。

しかし、非道な童子は、そういう訴えも聞く耳を持たず飲み続けていたのです。(`・д・´)

多少、ガンマなんか高くったって、酒呑みならあたりまえじゃんか、
と開き直っていた向きもあります。
酒呑みなんて、世の中にごまんといる。ガンマがなんじゃい。(゚皿゚メ)
と嘯きながら、延々と飲み続けたのですね。

健康診断のコメント欄には、当然、「休肝日を取りましょう。」
などとは、毎回いつも注意書きがありましたが、
「断酒しなさい!」とのコメントは流石にありませんから、
たまには、ビール1本程度の日も月に1日くらい作ってもいましたが、
真正直な童子は、断酒までは思いも及ばなかったのであります。φ(.. )

段々、段々、肝機能を示す数字は右肩上がりに順調に推移して行きます。
企業の売上推移なら、超成長企業みたいなグラフを示しておりますが、
ある時、以前の記事『幻の肝炎』に書いたとおり、
突然と、FacebookかLINEのような爆発的成長を果たします。

明らかに、脂肪肝から肝炎に移行した事を示したものと思われました。
しかし、精密検査の結果では、童子の場合、肝炎の因果は検出されませんでした。
前々回の記事『痛風もどき編』で痛風と診断されなかったのと同様に、
γ-GTPが4200になっていても、肝炎とは診断されなかったのですね。

どうやら、童子の五体は、サルか豚か何やらやのDNAが混じっているのか、
人間としての検体を成してはいないのではないか、という気すらしてまいります。(TДT)

どちらにせよ、長い間、高い肝機能異常数値で、
肝臓に油を蓄えて生きてきたものですから、きっと最後は、行き着く所、
肝炎→肝硬変→肝臓がん・壊死という終末を辿っていたことでしょう。

されど、断酒して1年5ヶ月を経過、さて、2カ月前の健康診断の結果は、
γ-GTP:25、GOT:18、GPT:16、 腹部エコー:異常なし。
という真人間の状態にまで回復する事に、あいなりました。(☆゚∀゚)

やはり、酒は万病の元。健康第一ですね。

もっとも、脂肪肝も痛風も、アルコールを飲まない人でも症状が出る人も居るようですが、
大概は、メタボというか、成人病が原因でしょう。

童子の場合は、アルコールを飲むと、ドカ食いが激しくて、
ぐんぐんと体重も増加していったので、メタボ×アル中の相乗効果で、
よけいに酷くなっていったものと思われます。

御蔭様で、体重も断酒以降、ジョギングも功を奏しているのか、6kgの減量に成功しました。
更にシェイプアップを続けて、メタボからも脱出を図りつつある所であります。

健康な精神は健康な体に宿るという言葉を信じて、精進精進の童子です。( ̄▽ ̄v

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ctxt0475ctxt0475 at 00:39│コメント(2)トラックバック(0)

2014年08月02日

前々回の記事で、偉そうに、童子は今までどんなに酔っ払っても、
女性専用トイレで寝潰れたことだけはない、という自慢(?)フレーズを書いた。

ところがである。
昨日、とあるネットの記事を見て、ある大失敗を思い出したのです。

大分前の事ですが、大阪で仕事していた時の、ある朝のことでした。
前の晩も、遅くまでたらふく飲んで、案の定、翌日起きて見たら、
遅刻が確実となりそうな時間である。
おまけに、安酒のチャンポンで酔いが残り、頭蓋骨にギンギンと響いてくる。

何もなければ、ずる休みするところだが、
あいにくその日は特別重要な会議が朝一番からあり、
うるさい重鎮が参加するので、欠勤は極めて具合の悪い事態だった。
それどころか、1分の遅刻もままならないような会議だ。

やっぱり、いかなアカン。
田舎もんの童子は、根が単純なので、大阪に居れば大阪弁、
東京に居ればサー言葉にすぐに順応してしまうのです。

思い切って布団から飛び出し、顔も洗わず歯も磨かず家を飛び出した。
こういう事は日常茶飯事であったので、
会社の机の引き出しには旅行セット一式が用意されているのだ。

そして、大阪駅まで辿り着いたが、列車がやや送れて、
かなりシビアな時間となっている。
御堂筋線に乗り換えるべく、二日酔いの体に鞭打って、
アメラグの選手のように人並みを縫って、走る。走る。

地下鉄梅田の改札を抜けると、丁度ホームに車両が到着しており、
今にも出発しようとしていた。
これに乗れば、なんとかギリギリでセーフだ。
前夜の酔いがぶり返して朦朧としてきた頭をなんとか振り絞り、
最後の猛ダッシュで、閉まりかけた扉の隙間に滑り込んだ。

ふ~~っ。と汗を拭いつつ、大きく溜息をつく。
はあー、何とか間に合いそうだ。
しかし、ふと何かいつもと車両の雰囲気が異なることに気づいた。
ふうふうと酒臭い息を吐いて下を向いていた頭を持ち上げ左右を窺う。

ウン?、何かおかしい。(≡ω≡.)
やたらと今朝はOLが多いな。どこかの、何かの団体かなあ?
いや。違う。あれっ?。男がおらん!男が童子一人だ~!(; ̄Д ̄)
あいゃ~!女性専用車両かあ!!!(((( ;゚д゚)))

どっと、汗が噴出す。(;´Д`)
同時に辺りの怪訝そうな視線がチクチクと顔面に刺し込んできた。
顔面に急激に血が昇って、みるみる紅潮して行くのがわかる。

大げさに、間違えたような仕草で頭を搔く素振りをするが、
恥ずかしさに加えて、車窓に映る背後の顔顔顔が恐ろしい。
次の駅まで、目を閉じて寝た振りをしていたが、
梅田から淀屋橋の一駅がこれほど長く感じた事はなかった。

ようやく、淀屋橋で降りて、別車両に駆け込み、なんとか遅刻は免れたのである。
しかし、確かに恥ずかしくて赤面はしたけど、童子の時代はまだ平和であった。


冒頭に書いた、事件を思い出した記事とは、こうである。


『誤って女性専用車両に乗ってしまった男たちの悲劇』(週刊SPA引用)

「駆け込み乗車をしたら誤って女性専用車両に乗り込んでしまった。
周りの女性たちの迷惑そうな視線に耐えていると、
20代後半くらいのOLたちに突然写メを撮られた。
茫然としていると、『アップ完了』『ツイッターで拡散(笑)』
と同僚同士で盛り上がっている。
周りもただニヤニヤするだけ。注意をする気も起きず心が折れた。」(38歳・会社員)

「間違えただけなのに、高齢の女性にいきなりヘッドフォンを外されて
痴漢呼ばわりされた。それ以来女が怖い」(28歳・会社員)
と、トラウマになる例も。

いやいや、スマホもTwitterも無い時代の事件でよかった。よかった。でした。(・∀・)


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