2014年05月

2014年05月26日

今回の断酒に踏み切る、その三カ月前。
二三週間の間に、実は二度ほど緊急入院しておりました。
といってもアルコール専門病院ではありません。普通の内科であります。
酒が原因なのかどうか知りませんが(多分そう)持病が再発したのです。


更に遡ること数年前から、この物語(?)は始まります。
ブログ記事『酔っ払い事故(4)』で書いた、入院の時の出来事です。
自宅玄関の石段から転落して背骨を骨折しての入院。
全治1ヵ月半と診断され、1ヵ月経過して骨折は相当治癒され、
車椅子で生活ができる状態まで回復していました。

本来なら、あと二週間ほどで退院予定でありましたが、
ある夜遅く便意を催してトイレで用を足し、いざ水を流そうとすると、
なんと、便器の中が真っ赤に染まっているではありませんか。

「なんだ。こりゃあ~!。」(((( ;゚д゚)))
慌てました。何時から童子も生理が始まったのか?(´・ω・`)
かなりの出血があったような気配です。
切れ痔の持病はそれまでなかったのですが、
ひょっとしたら、そんな事かなあと思い、その場は黙って病室に戻ります。
疲れがでてたので、その夜はぐっすり寝込んでしまいました。

ところが、翌朝目覚めて、尋常ではない便意を感じます。車椅子でトイレに駆け込み、
気張った瞬間に、今度はバシャーと音を立てて真紅な下血が発生しました。
ほとんど液体です。500mlボトルをぶちまけた量であるように感じました。
ショックで蒼ざめて、びびりながら病室に戻ります。

これは、痔なんかではない。体内の何処かから出血してる。(; ̄Д ̄)
丁度、朝早く着替えを持って来た前妻に、かくかくしかじかと話しますと、
「また、寝ぼけた事を言って、飲んでるんじゃないんだろうね。」
との疑惑の目。

「違う。違う。どうやって病院で飲むんだ。」
と言えど、前科があるので、全く信用がありません。
「ほんなら、痔とちゃうか。何ゆうてんねん。」
とまともに取り合ってもらえません。
「うーん。そんなら今度でたら看護婦呼ぶよ。」

ところが、数時間後、再び下血が発生。
またまた、500mlの量。流石に怖ろしくなります。
至急、非常用ボタンを押してナースコール。
強い貧血が発生したようすで、あたりの景色全体が黄白色に感じて、
酷い目眩で頭はフラフラの状態で、ベッドに倒れこみます。

医師が駆けつけます。まずは、血液検査。
結果が出るまでに、再度下血。
すぐに貧血の結果が出たようで止血剤の点滴が始ります。

二三時間で点滴が効いたのでしょうか、下血は収まりを見せて行きました。
念のため、しばらくは絶食を言い渡されます。
そうして2日ほど何事もなく、ようやく、七部粥くらいは許されます。

ところが、ああよかったなあと、食事を口にしたその夜。
再び、下血が再開したのであります。Σ(´д`;)
また点滴が始まり、鉄分も補給されましたが、
今度は、止血剤を強化しても、下血が治まらないのです。
5,6時間置きに、毎回毎回500mlくらいの量。

いよいよ医師からは、輸血しないと危ないと、輸血の同意書を取られます。
それでも、治まる気配はみせず、カメラでの診断となります。
上からも下からもカメラをグイグイ挿入されて、どうにでも好きにやってくれと、
人間の尊厳を失うような(大袈裟か)ボロボロの気分でした。

上からのカメラでは、胃と十二指腸は問題なし。
しかし、下からは大腸に憩室という状態が多く発見されました。
ただ出血状態の部位は特定できないとのこと。

そして、輸血・止血剤の点滴を続けど下血は一向に治まらず、
カテーテルでの部位特定の検査を行えど施術は失敗。
いよいよ医師から最後通告の説明がありました。

「憩室は大腸広範囲にあり、出血が間欠的なため部位を特定できない。
このままでは生命にかかわるため、大腸除去する外科手術を緊急に行う必要があります。
ただ、大腸を全て摘出すると生活に支障が出るので、今回の手術は比較的憩室の多い下半分にするが、
それでも確率は50%と思って下さい。それで駄目なら、全摘出の再手術となります。」

同意せざるを得ませんでした。(;´Д`)
全身麻酔の数時間にも及ぶ大手術だったようです。
一か月半の入院が二カ月半以上に及んだのはこれが原因だったのです。

手術後下血はピタリと治まったのですが、2週間の絶飲食はこたえましたね。
それに、自分の体内から膨大な血が垂れ流され止まらない恐怖は、相当のものでした。
長年の酒の飲み過ぎが祟り、とうとう天罰が下ったのかも知れないな、(´・ω・`)
と流石の童子も退院までは神妙な面持ちで居た様子でありました。

しかし、喉もと過ぐれば何とやらで、退院すれば、やはり根っからの酒呑童子。
また元の大酒飲みに復活するのに、そう時間は要しませんでした。

(次回へ続く)

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2014年05月20日

以前のブログ記事で、大量飲酒時代の手の振戦による情けない回顧録を書き留めたが、
そういえば、童子の周りでは不思議(?)と手の震えるような奴は居なかったなあ。
などと回想しておりましたが、いや、ありました。おりました。
むか~し、昔、他人様の振る舞いで同様な出来事に遭遇した事件が。

童子がまだまだ若かりし学生時分の大昔のこと。
当時、童子は京都市左京区下鴨の学生専門アパートに住んでいました。
アパートの前は公園です。その公園を対角線にはさんで、わずか50mもない圏内に、
AとBという二軒の歯科医院が営業しておりました。

A医院は、近所の評判も良く若手の医師で診察患者さんも多かったのですが、
難点は予約がなかなか取れず、しかも待ち時間が長いことでした。
当初は、童子も虫歯になると、A医院で治療してもらっておりましたが、
飲み過ぎで、予約を二三回キャンセルをした事で行きづらくなっていたのです。

治療途中の状態で暫くほったらかしにしてましたが、
二三カ月して再び歯が疼いてきて我慢できなくなりました。
同じアパートの知人に尋ねると、B医院は予約なしでもやってくれるよ。
との事です。

さっそく、夕刻、B医院へ。
看板のある門扉から覗けば、古~い民家を改造したような感じで、
広い庭を数メートル歩いて玄関から入る作りになっております。
なにか明治か大正時代のような雰囲気(生まれていないので想像の域)
が醸し出されていました。

玄関の磨りガラスの格子戸をガラガラガラっと開けると、
横に広い土間の靴脱ぎ場がありました。
古い旅館のようなたたづまい。

しかし、誰もいません。
「こんにちは」と尋ねます。
誰も出て来ない。
「こんにちはー!」と大声で、もう一度。
やはり、誰も居る気配を感じません。

留守で、未だ開診していないのかな、と玄関に手を掛け戻ろうとした時、
薄暗い廊下の奥の方から、すーっと音も立てず瘠せ細った男の人が出てまいりました。
「ああ。どうぞ。」
びっくりした。古希も過ぎ去り枯萎の域に達っした幽鬼漂うお爺さん。
でも、まあ、経験豊富なんだろうね。いいんじゃないかい。

と土間に上がり、スリッパを履くと、
右手の診察室と書いた表札が懸かった部屋に案内されます。
昔の小学校の医務室とか書いた白い標識を彷彿としました。
民家にしては仰仰しいんではないかい。

中に入いれば、骨董品のような施術台が1台ポツンと置いてあります。
看護婦さんもおらず、一人でやっているようです。
一瞬、後悔した気分が過りました。(TДT)
けど。。。待つこともないし、所詮は歯の治療だから、まあイイか。

診察台に座り、あーんと口をいっぱいに開けます。
「ここ。ここ。」
「どれ、どれ。」
と、差し出された、お医者さん指が微かに震えている事に気づきます。
大丈夫かいなあ。一抹の不安が込み上げましたが、お爺さんだから仕方ないか。

キーーンというヤケに甲高い音とともに歯を削る厭な音がします。
童子は小さい時から、どうも歯医者さんだけは好きになれません。
小学生の時は歯医者さんに連れて行かれると、恐怖にかられ泣いておりました。
(尤も、好きな人はいませんでしょう。いたとしたら、
 自虐癖気味のマゾっぽい人くらいでしょうねえ)

枯れた腕にしては、ズィィーンとやけに力強く削られます。
やはり年期が入ってるのかな。
しかし手も、やけに震えてるなあ。
だから客がいないのかなあ。
色々想像していた瞬間、医師の手が滑った様子で、
頬の奥のほうに痛みを感じました。

「あっ」とお爺さんの小さな叫び。
「いてっ!」(((( ;゚д゚)))
慌ててコップで口を濯ぐと、水は真赤に染まっているではありませんか。
お爺さんは謝りもせず、脱脂綿にヨーチンを浸し、
腔内を拭った後、何事も無かったかの如く黙々と治療を続けます。

ようやく、長い長い治療(童子には1時間も感じられました)が終わり、
お爺さんに料金を払うと逃げるように門扉から遠ざかりました。
頬の内側の傷は出血は止まりましたが、浸みて浸みて、
二三日食事もままならなかった記憶があります。
その後、二度と、その敷居を跨ぐことはありませんでした。

お爺さんのお医者さんは、老齢のため手が震えていたのか、
はたまたアル中のためであったのかは、本人に問い糺す機会は持てず、
その後暫くして、あの世に行かれた御様子で今となっては永遠に謎であります。

アーメン。(´・ω・`)


童子も一時、外科医ブラックジャックに憧れていたこともありましたが、
もしも、医学の道に進んでいたとしたら(ありえない?)、
震えるマジックハンドで、一体何人の患者の命を切り苛んでいたことだろう。
そして、今頃は確実に何処ぞやの牢の片隅に繋がれていたんだろうなあ~。
いや~、医者にならずによかったよかったと、ほっと胸を撫で下ろすのでした。

アホ!

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2014年05月15日

先日の日曜日、皐月の陽気に誘われ近くの海浜公園を散策してみた。
幸せそうな家族やグループが三々五々余暇を満喫している。
テニスに汗を流す中年男女たち。
ウィンドサーフィンで颯爽と波に乗る若者たち。
潮干狩りにいそしむ幼児と父母たち。

松並木の奥まで歩けば、
バーベキューを楽しんでいる家族づれやグループの数々。
様々な人々がビールやドリンクを飲みながら、焼きあがった肉や野菜を
頬張りながら歓談している風景だ。

ウーン、汗ばむ気候での新緑の中で飲みほすビールは、
断酒して飲酒欲求が消えかけているとはいえ、
喉元に爽やかなホップの苦みが髣髴としてきて、
微かな欲求が甦ってくる。

うーん。いけねえ。いけねえ。(≡ω≡.)
と思いつつも、羨ましさが込み上げてくる。 (´ρ`)


童子も依存症がいよいよ悪化しない程度の時代には、
友人たちと京都の清滝や貴船などにロードレーサーを駆け、
川辺でバーベキューなどを楽しんだ時期があったものだ。

真夏に熱射病寸前に、ぎりぎりに水分を皮膚から蒸発させた後の、
ビールの旨さといったら、言い知れぬ幸福感があったものだ。

太陽の光を浴びて、皆で、わいわいと飲む酒は健康的である。
ぐでんぐでんになってしまう状態には陥らない。
少なくとも依存症を感じさせるような気配はなかったのだが。。。


しかし、そのうちに段々と、太陽の下では飲まなくなってくる。
土日や連休も同僚や家族と出かけるのが鬱陶しくなり、
ひんやりとした薄暗い部屋に一人きりで閉じこもり、
大量のアルコールをひたすら呑み干す日々に傾斜していった。

なぜ、あれほど酒を浴びる必要性があったのか。
今考えて見ても、はっきりとした要因は見いだせないが、
アルコールという薬物に捉われた病、だけで説明はつかない。
何かが見いだせない葛藤が胸の底に渦巻きながら沈澱し、
人生に対する価値観が弱まっていったように思う。

仕事は順調で、そこそこ出世もし、家も建て金にも困らず、
家族の諍い事もほとんどない見た目は幸せな家族だった。
しかし、子供が大きくなっていっても、感動も生まなくなっていた。
家に帰っても、仕事の話もせず、趣味などへの興味も薄らいで行った。
楽しいと思う事柄が見いだせなくなっていた。酒以外には。

それこそが、依存症の典型なのかどうかはわからないが、
そういった精神状態が、ますます酒に逃避していった。その逆かもしれない。
何事も考えたくなくなっていた。どんどんどんどん蝕まれて行く。
最後は奈落の底。何十年も。


断酒を決断して、まだ1年と2ヶ月あまりだが、
以前の飲んだくれていた生き様からは考えられない日常となっている。

しかし、AAの回復のステップにあるような真の棚卸はできていない。
せめて依存症であるという認識が脳裏から薄らいでいかないように、
過去の事件を記憶から抹消しないようにブログに刻みこんでも、
根源的な人格的・精神的脆弱さは炙り出されてはいないのだ。

本来はその領域まで辿りつかないと、なかなか、
依存症からの脱皮は完璧にはできないように感じる。 (-ω-;)ウーン

しかし。しかし。やたら深刻に考えても、どうなるものでもない。
酒を飲まないでいられる状態が幸福そのものと感謝しておこう。
そう考える日々である。(´・ω・`)


今回は、やけに真摯な思いの童子でありました。(・∀・)つ


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2014年05月08日

先日の東京で震度5弱の結構関東では揺れた地震発生のおり、
表参道交差点附近で、「地震なんかないよ」と連呼している
酔っ払い風の女が某国営放送の地震中継ニュースに映り込み、
放送局が慌てて音声を消して映像を流した云々という
”ニュース”が2chやYouTubeなどを賑わしている。

酔っ払い女やアホ女というタイトルでレスが炎上しているが、
実は後で判ったようだが、なんとかいう(童子は知らないが)タレントだったらしい。
おそらく朝方まで飲んでたんだろうか。
それにしても、あの揺れを感じないとは、たいした泥酔ぶりである。

朝まで飲んでいたこと自体は、別に咎められることでもないが、
これまたアホ会長が居続ける、童子の忌み嫌う天敵のような放送局とはいえ、
TVに映りたげに、天下の放送でアホさ加減が曝け出されたのはまづかったですねえ。

親御さんが見ていたら、なんと言われることでしょうか。
もしも童子の親父が生きていたら、間違いなく勘当ものだったでしょう。
母親も健在でしたら、世間体が悪いといって寝込んでしまったかも知れません。
あほんだら!

と、言いたいところだが、偉そうにいえる童子ではありませんでした。('д` ;)
御多分に漏れず、童子も毎晩毎晩飲んだくれて泥酔の揚句寝こむ連続で、
多少の震度の地震や雷や火事では目を醒ますことなどありませんでした。

翌日、二日酔いの頭で会社に出勤して、同僚や取引先に、
「昨夜の地震はよく揺れましたね」とか言われても、
全く記憶になく、泥酔してたのを悟られまいと、
「えっ。・・・うん。そうでしたね。」
などと口調を合わせていたものでした。(≡ω≡.)

しかし、不思議な事に、人生で身近に出くわした二つの大地震、
つまり、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、
当時泥酔が常であった童子が地震の前夜は何故か飲んでなかったのである。

神戸の時は、京都の宇治在住であったが、
当時新築ほやほやの家が倒壊するかと思う位揺れて覚醒した。

瞬時に、隣に寝ていた当時の娘を庇おうと、人並みに子を守る親の本能が働き、
娘の上から抱きつき、万一屋根が落ちてきたらクッションになろう
とする意識が働いたのを思い出した。
記事(青春期の飲酒7 - 泥酔焼死)で書いたように、隣家の火事でもおきない童子が、
泥酔していたら翌朝であろうと、こういう行動は取れないものであった。

東北の時は神戸に出張していたが、この時も、前日は何故か体調がすぐれず、
飲まずにホテルで早々に寝てしまった記憶がある。
神戸で、揺れを感じ、これは大変だと、出張先での仕事を
即刻切り上げ、タクシーで最寄駅まで向かった。
(もっとも、当日は新大阪から関東地方に帰る術はなかったのであるが。。。)


古の昔から、地震が近づくと数日前から、ネズミが集団で逃げるとか、
ナマズが異様に騒ぐとか、冬眠中の蛇が眠りから覚めて雪の上に出てくるとか、
様々な動物に、地震予知能力があるように言い伝えられている。

もしや童子も、ネズミや蛙と同等の能力を持っているのかも知れない。
地震が近づけば、それまでの連続飲酒がピタリと止まる、
そういう類の地震予知生物であったのかも知れない。

ただ、酒を止めてしまった今は、予知できるバロメーターが欠落してしまい、
体内予知器官も退化したようで、なんの役にも立たなくなったではないか。。。
と残念そうな面持ちながら、複雑な心境の童子なのであった。(´・ω・`)


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2014年05月02日

やはり、ロマンスに出くわす事は人里離れた過疎の村では希少であろう。
どうしても若い人々が集まる繁華街が確率的に高いのは肯けるでしょう。
それがファッショナブルな街であれば、更に気分も昂揚しようというもんだ。
という理念(?)から、若かりし頃は日夜、繁華街を徘徊していたものです。

サラリーマンに成り立て2年目位の、ある日の出来事。
気づいたら何故か一人きりで難波にいた。道頓堀から少し離れたあたり。
梅田で会社の飲み会があり、2次会までは同僚と飲んでいた記憶があるが、
それ以降の経緯はプッツリと思いだせない。

既に時刻は0時を回っているが、まだ繁華街の人通りは多い。
当時は宝塚近辺に住んでいた。阪急沿線である。
もう終電には無理だろう。
いや~。朝までどうしよう。(T_T)

と途方に暮れていた時、十数メートル先で、
同じような思案顔で佇んでいる一人のうら若き女性が眼に留まった。
やはり、宴会などで無理やり飲まされて、終電に間に合わなかった口なのかなあ。
などと考えぼんやりと煙草に火を灯し悟られぬように眺めていた。

すこし遠目だが、そこはかとなく美人の雰囲気が漂っていた。
突然、女性が体の向きを変えたとき、パッと童子と一瞬眼が合いました。
童子は照れ屋で奥手なので、すぐに眼をそらし90度別方向を睨み煙草を吹かし動悸を抑えます。
(こういうシチュエーションでは、何時も童子はロボットの如く動作がぎこちなくなるのである。)

童子の視野の90度右方向から、女性がゆっくりとこちらに向かってくるのが窺えた。
てっきり、反対方向に通り過ぎてゆくものだとばかり思っていると、
なんと、童子の目の前で立ち止まり話しかけて来たではないか。

「すみません。終電に乗り遅れてしまい困っています。
どこか朝までやっている喫茶店とか、ご存じないでしょうか。」
童子も、大阪のみなみは本拠地ではないので、
「いや~。このあたりは不案内で。実は、私も終電に・・・・」

という感じで、何処かで時間を潰しましょうという事になった。

彼女は近くで見ると、清楚な、どこぞのお嬢様風で、理知的な輝きがありました。
童子はかなり酔いが回っておりましたが、
たまには、こんな出来事もあるのだなあと夢心地でありました。

彼女が、「そういえば、以前友達と行って夜を明かした良いお店が
あったんだけど、場所をはっきり覚えてないけど、確かこっちの方だったわ。」
というので、狭い路地を何度か迂回しながら捜し歩きました。

「あっ。このお店だわ。」
間口の狭い窓のないドアを開けると、確かに雰囲気の良い
(かどうか今となっては怪しいものだが)こじんまりとしたスペース。
ウエイトレスが1名。小さなテーブル席が二三席。店の奥に厨房のような空間。
喫茶店というよりかバーに近かった気がする。

小さなテーブル席に向かい合って座ります。
ウエイトレスが持ってきたメニューを彼女が受取り、
「ウイスキーでもいいですか。」
「何でも構いません。」と童子。

対面で見れば、ますます上品そうな美人であります。
しかも、恥ずかしそうに俯き加減で、清楚な雰囲気に包まれていました。
童子もはにかんで「いや~。梅田で飲んでいて、気がついたら・・・」
どぎまぎしながら、ウィスキーを待っていると、

「私、家の者が心配してると思うから、外の公衆電話から自宅に電話してきます。」
すぐに戻ってきますね。」
とハンドバックを抱えドアを開けて出て行った。
携帯電話のない時代である。

ウイスキーのグラスを2つ、ウエイトレスが店の奥から持って来ます。
喉が渇いていたので、上機嫌でウイスキーを一気に呷りました。
「もう一杯おかわり。」

しかし、10分経てど、15分経てど彼女は戻ってこない。
ウエイトレスが、
「お連れさんどうされたんですかね。」
などと話しかけてくる。

30分はいたであろうか。遅いなあ。
もしかして、路地で道を迷っているかもしれない。
一旦、店を出て捜して見ようと判断した。
「お勘定。」

ウエイトレスが、奥から手書きの紙片を持ってきた。
3500円と思いきや、酔眼に、もうひとつ0が飛び込んで来た。
「おねえさん。これ間違ってないかい。」

ウエイトレスはメニューを開いて見せ、
「ウイスキー3杯で3万円。テーブルチャージと突き出しで五千円となります。」
と、いけしゃあしゃあと開き直ったような態度で言うではないか。

童子はウエイトレスの手のひらを返したような態度に怒り心頭に達する。
「そんな、馬鹿な金額があるかい!マスターを呼べ!マスターを!」(#`皿´) ムキーーーー!
ウエイトレスは、童子の迫力に怯えた様子も見せず、カウンターの奥に消えて行った。

しばらくして、奥から、ランニング姿の男がぬっと半身を現した。
「お兄さん。何か。」
童子はひるんだ。(((( ;゚д゚)))
童子もかなり背丈はある方だが、相手は190㎝はあろうかというスキンヘッドの強面。
おそらくは、プロレスラー崩れか何かと思わせるような体格。
当時はBMIが19(今は26)の華奢な童子の数倍の握力と背筋力が容易に想像できたのだ。

「いえ。別に。。。」
と、大人しく呟き大枚を払うしか、選択する道は残されていなかったのである。
ようやく童子の酔っぱらった脳味噌にも、店ぐるみで騙されたことが理解できたのだ。


ただ同様なことが、酔っ払えば、二度三度とあるのが童子のアホさ加減である。
その後も、性懲りもなく新宿でも同じような目に逢ったことがあるが、
その時も、不思議とレシートの金額は、3万5千円であったことを記憶している。

明朗会計・全国均一料金のぼったくりチェーン店であったのかなあ~。(´・ω・`)
アホな童子の情けない繁華街のロマンスでした。
ああ、情けない。φ(.. )

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