2014年02月

2014年02月28日

昨年の3月1日から断酒をスタートして、本日で丁度1年となります。
ブログはと見れば、3月9日から書き始めております。
毎日書くほどマメな性格ではありませんが、
それでも気づいて見れば、なんと120編もの記事を書いておりました。

断酒当初の数日間、断酒の継続を何を拠り所にすべきか迷った揚句、
まずは、近くのアルコール専門クリニックを捜して予約を入れました。
兎に角、抗酒剤さえあれば、数日間はなんとか強制的に凌げると思いました。

しかし、過去の経験から、抗酒剤という物理的処方だけでは、断酒継続はままなりません。
幾度と断酒、失敗、連続飲酒発作というスパイラルに巻き込まれて行き、
失敗する都度、周期は短く、症状は更に深くなり、いよいよ抜け出せない蟻地獄に
突入する断末魔の不安感に、薄っすらと死を意識していたものです。

依存症に関する書物に目を通しても、医師の説明を聞いても、口を揃えたように、
まずは、専門医で診察、抗酒剤の服用、自助会へ参加、の3本柱。
医療だけでは限界があるから、最後は自助会に頼っておくれと言わんばかりで、
それしか、この病気には処方が無いような言いぶりです。

かといって、AAなどの自助会へは、何度行っても打ち解けられず、
ミーティングの内容もつまらなく、変わり映えしなく感じておりました。
自助会で救われている人も確かに何人も見受けましたが、
かといって、自助会に行かなければ救われないのか。。。

天の邪鬼の童子は、そんな事はないかも知れないとの思いから、
ネットでアルコール依存にまつわる様々な情報やサイトを模索しました。

その時に辿り着いたのが、日本ブログ村の断酒禁酒とアルコール依存症のカテゴリーでした。
断酒が何年も長く継続できている方々が書いておられる奮闘ぶりを、
夜を徹して読み抜いた事が思い出されます。
書くことにより、自助会に頼らずとも断酒が継続できて、
アルコール依存症から寛解できる可能性がありそうだと思い立ちました。

そうして、ブログタイトルを、自助会に頼らない『一人ぼっちの断酒闘争』とし、書き続けたのでした。
そのうちに、アクセス数も増えて、コメントで支援して頂ける方もいらっしゃり、
ブログランキングも一つの励みとなって、今日までアルコール1滴の雫も嗜めることなく
ようやく1年間乗り切る事ができました。

励ましていただいた読者の方々に、この場を借りましてお礼申し上げます。m(_ _)m

酒が飲めない人生なんて死んでしまったほうがいいや、などと嘯いていた童子でありましたが、
酒の無い人生も慣れてしまえば結構乙なものです。
酒毒によって曇らない、透きとおった青空のような、この気持のよさと、
酒の無い生活の価値観を更に心に刻みつけて、残りの人生を全うしようと思います。

やっと、1年。されど、1年。よく頑張ったね~。(´∀`*)
ご褒美に今夜は久し振りの祝い酒を一杯。。。ヾ(=^▽^=)ノ
という訳には参りませぬ。(´・ω・`)


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ctxt0475ctxt0475 at 15:52│コメント(13)トラックバック(0)

2014年02月24日

勿論、童子の結婚式ではない。
田舎に戻り、甥の挙式と披露宴に出席してきたのである。
思い起こして見れば、実に、十数年ぶりの結婚式出席であった。
勿論、人生初めての素面での披露宴出席でもある。


先週は、年初より始めたジョギングのラストスパートで、
出社前に90分を3ラウンドこなした。v( ̄∇ ̄)v
御蔭様で、年初より4kg強のダイエットに成功し、
何とか滑り込みセーフで、礼服に体を通す事が出来ました。

(1月15日の記事『ジョギング再開なるか!』を参照下さい。)
目出度し目出度しと言いたい所だが、なんと、落とし穴があったのだ。

年初より、履けなくなっていた礼服のズボンに身を合わせるべく、
ジョギングを実施した都度計量し、ズボンを試着して状況を判断していた。
駄目だったら勿体ないけど新調するしかない。
そして先週、ようやくチャックを上げる事が叶い、「いけるぞ!」と判断したのです。

当日、控え室に入って早速ズボンを履きます。なんとか入った。GOOD!(⌒-⌒)
次に上着を着る。「あれっ!これってダブルだったの?」
ならば、ズボンから、まだ幾分はみ出している腹部が隠せるぞ、と糠喜びした。

しかし、ダブルの上着のボタンを掛けると、今度は、ボタンが弾け飛びそうで、
お腹が上着に抵抗して、腰周りがパンパンで苦しくて辛いのである。
いっその事、前をはだけていようかなと鏡に映して見れば、
フーテンの寅さんみたいで、流石に、それでは格好がつかない。(;´Д`)

上着まで試着してなかったのが失敗要因であったが、もう引き返せない。
料理番組の紐で縛った手作りハムのような状態で参列せざるを得なかったのである。
腕組み姿勢を多用しつつ、パンパンの腰部を隠して、式と披露宴を切り抜けた。
御蔭で、苦しくて苦しくて、折角の披露宴の食事もままならず、
腹3分程度しか食する事ができなかったのである。

宴が終わるや否や、荷物をクロークで受け取り、近くのトイレに駆け込み、
礼服をかなぐり捨てて平服に着替え、会場を飛び出して近くのコンビニに飛び込んだ。
以前ならば、ここで、すかさずワンカップを呷っていた童子であったが、
断酒中の身である今は、ジャムパン、アンパンを買い占めるのでした。

まっ。それでも。めでたしめでたしかな。(☆゚∀゚)


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ctxt0475ctxt0475 at 09:33│コメント(2)トラックバック(0)

2014年02月20日

最近物忘れが酷いのである。
先日もゴミを出そうと、一旦玄関の前に置いて
出社時にゴミ収集場に持っていこうと考えていたら、
そのまま、忘れて会社に行ってしまった。

会社に着いてから、「あっ、ゴミ出し忘れた。」と思い出し、
帰って見れば、何と、ある筈のゴミが何処にもない。
マンションの住人や管理人が気を効かせて、
ご親切に持って行ってくれる事などありえない。

もしかして、悪人がゴミをさらって、中にあるかもしれない
レシートや郵便物などの個人情報を悪用しようとして持っていったのか、
と考えると、少々不安にもなって来る。
が、そんな酔狂な輩も、そうそうは居そうにない。

朝の寝ぼけた状態で、本当は童子本人がゴミ収集場に持って行って
忘れているのかも知れないなと、よーくよーく思い出そうとしても、
そういう記憶は、やはり一欠けらも蘇ってこないのだ。φ(.. )
なんとも不思議で不気味な出来事であった。

確かに、記憶力は齢とともに相当落ち込んでいる様子である。
会社の会議も議事録を見なければ、顛末がなかなか思い出せない。
仕事関係者の名前も度忘れして出て来ない事が頻繁にある。
昨日何を食べたのかも思い出せない事も日常茶飯事。
ほんとにヤバくなったのかも。。。(T_T)


不安になって、ネットでそれらしき記事を検索していると、
40代50代の若年性認知症者が近年増加しているらしい。
また男性に多いとのこと。

若年性認知症と一言で言っても、原因は色々とあるらしく、
アルツハイマー型と脳血管性が大半を占めるらしい。
アルツハイマー型は、頭痛、めまい、不眠、とあるが、
最近の童子は、布団にはいるや否や、羊の十数匹目で眠りについてしまう。
これではなさそうだ。(*゚▽゚*)

となると、脳血管性かな。
10数年前に、最初にアル症専門病院にお世話になった時の
脳のCTスキャン検査結果では、長年の飲酒で脳に結構
な委縮が見られます、と言われた事を思い出した。
その後も、飲み続けたため、委縮度合が進んでしまったのであろうか。。・゚(゚`Д)゙

いよいよ酒呑童子から「認知童子」に鞍替えしないといけないのかなあ
と益々心配になってきた。


ともかく、認知症の進行を防御するには、規則正しい生活を心がける。
漫然とテレビを見るよりは、書物などの文字を解釈する作業が良い。
運動も神経の刺激となる。仕事や社会的役割の存在が重要。などなど。
という事らしい。

酒でダメージを受けた脳細胞は回復不能らしいから、
少なくとも、年初から始めたジョギングなどの運動を止めず、
死ぬまで仕事を続けることが、認知童子にならないですむ
ことなのだろうと、気を引き締める童子でした。(・◇・)ゞ

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ctxt0475ctxt0475 at 12:50│コメント(3)トラックバック(0)

2014年02月17日

童子のお話ではない。小心者の童子はそこまで大胆不敵な事はやらない。
(ただ、泥酔は茶飯事であったから、そういうチャンス(失礼('д` ;))も
 その内に無かったとは言えない。。。いやあ、断酒して良かったあ~(⌒∇⌒))

表題の男とは、以前の会社の仕事上の同僚で、よく酌み交わした友人でもあった。
大酒飲みであったが結構優秀な奴で、その時分は、
童子の如き依存症ではなかったようであるが、今は知らない。

その友人と二人で、マレーシアに出張した時の事であった。
以前に記事を書いた「酒の飲めない街」の都市である。
日本に帰る日の前日、「日本では食えない物を食べさせてやる。」
という現地出向社員の言葉に乗った。

朝飯はホテルでは取らずに、街外れの薄汚い中華系の店に案内された。
店内ではなく路傍に並べられた浴室腰掛のような台に座り、
歩道を大方占拠して、大きな土鍋を囲んだ。

箸も食器も油の薄膜が浮いて、ぬるぬるした感じがする。(T_T)
慣れた素振りの出向社員のやり方を真似て、お茶で濯いで洗い流す。
昨夜は送迎の宴会で、スタッフが持参したウイスキーなどで
二日酔いであったが、早速ビールを頼み、
「アルコール消毒じゃ」と言い訳を付けて朝から乾杯。

出てきたものは、豚のあばら肉のぶつ切りをメインに、きのこなどを、
土鍋で薬草茶で煮た「肉骨茶(バクテー)」という代物。
これが、汚い店ながらやたらに旨い。まずいマレー米に良くマッチし、
朝からお腹がパンパンになるほど食が進むのである。
二日酔いの胃にも格別の料理であった。

童子と友人は山ほど食して大満足であった。

クアラルンプールまで移動し、日本へ帰国するその日。
友人はバクテーが原因なのかどうかわからないが、
腹を壊したようであった。
東南アジアでは、よくある事である。

ただ、その下痢ぶりが酷く、ゲート前で搭乗を待っている間にも、二三度トイレに立ち、
「全部出てしまったよ。」と、げんなりと青い顔をして戻ってきた。

機内に搭乗して、いよいよ滑走路に入りかけた時、
また催してしまい、友人が我慢できなくなったらしい。
座席ベルトをかなぐり捨てるように立ち上がり、トイレに向かおうとする。
あわてたスチュワーデスが駆けつけ、発着中はお手洗いは禁止ですと制止された。
しかたなく席にもどり、冷や汗を流して我慢している。

しかし、機体がエンジンを吹かし初めて、滑走路で今にもスタートを
切ろうとした時、友人がまた立ち上がった。
スチュワーデスが制止にかかる。
彼に余裕はないらしく、制止を振り切ってトイレへ走る。
もう1名の搭乗員がトイレ前に立ちはだかり制止するが、振り払うようにトイレに駆け込んだ。

ストロークが十分上がり、今まさに飛び立とうとしていたエンジンの噴射が突然停止し、
機内アナウンスが入る。
「具合の悪いお客様が、・・・・」
どうも、航空法規でトイレに人が入っている状態では、離陸できないらしい。

友人は他の乗客の手前、えらくバツが悪そうに頭を下げ下げ席に戻ってきた。
「かっこ悪いなあ。ちょっと我慢できんのか。」との童子の小言に、
「飛行機を止めてしまった恥の方が、
 座席で漏れてしまった恥を選ぶより、ずーとマシでしょ。」
「確かに。。。」

飛行機は、10分遅れ位で無事飛び立ちました。
ただ、友人は、その後も顔面蒼白で、機内でも関空でもトイレが続いていた。

翌日、彼は会社には出勤してこなかった。病院へ行くとの事であった。
童子は、もしかして、コレラか何かとんでもない疫病にかかったのではと、
我が身も心配になってまいりました。

ようやく連絡が取れて聞けば、幸いに、検査の結果、疫病ではなかった。
京都駅に着いて自宅帰宅の間にも幾度か催し、
パチンコ屋さんを梯子して帰ったそうである。
(実は、童子も、もう何十年もパチンコ自体はやらないが、
 パチンコ屋さんはよく利用しているのである。φ(.. ))

酒で疲弊した胃に料理か水の雑菌が影響したのでしよう。
アルコールで消毒などというアホな言い訳は止めて、
海外出張時には必ずラッパマークの正露丸を持参いたしましょう。(⌒-⌒)


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ctxt0475ctxt0475 at 06:12│コメント(2)トラックバック(0)

2014年02月13日

一昨日、ニュースを見ていたら、全日空の国際線ニューヨーク行の便で、
日本人の酔っ払いが機内で暴れ、アラスカのアンカレジ空港に臨時着陸し、
男は当局に引き渡され、NY着は6時間半遅れた。
という事件が目に止まりました。

アンカレジで現地警察に拘留されたという事だから、
業務妨害か何かの罪に問われる事になるのでしょう。
また、全日空に対しても、緊急の着陸料や、諸々の損害賠償は、
膨大な金額に昇るに違いありません。

それよりも、NYに向かう乗客への、6時間以上もの到着遅延に対しての責任は
どう謝罪をするつもりなのであろう。
そして、アメリカ人を初め、外国人乗客は、日本人の泥酔ぶりを見て
日本人への印象をどう悪化させたであろうか。
なんという不様な男であろうか。

などと、今でこそ何とか断酒できて、偉そうに宣うている童子であるが、
実は童子も、流石に飛行機こそ止めた事はありませんが、
残念ながら思い当たる節は、これが、そこそこはあるのですね。(≡ω≡.)
(ただ、友人は本当に離陸直前の飛行機を止めたことがある。その話は、また後日。)


十数年前、シンガポールに向かう日本航空便に、当時の会社関係者4名で乗ることになった。
4人とも何時も京都では、うだうだと、よく飲っている連中でありました。
早速、朝の関空のレストランに集まり、搭乗前から結構飲っておりました。(*゚▽゚*)

搭乗した後はバラバラの自席で、暫くは大人しくビールを飲んでおりましたが、
シンガポールまでは、7時間程度もかかり退屈であります。
その日の便は結構空いており、4人は客がほとんど居ない後方エリアに移動し、
酒盛りを始めようという事になりました。
ビールは飽きてしまい、ワインの小瓶をどんどん開けていきます。

新幹線で、田舎の酔っ払いのおじさん達が座席を向かい合わせにして、
ワイワイと、やっている、あの風景そのものですね。
頻繁に座席の呼び出しボタンを点滅させては、
スチュワーデス(今はこう呼ばないらしいが。。。)を呼び出し、
「スチュワーデスさん。ワインお代わり。」の連呼である。

4人とも、シンガポールに行くのは良い案件の仕事ではありませんでした。
シンガポールの販売拠点がガタガタにトラブッてしまったのを、
半分童子達の責任にされ、立て直す責務を押し付けられて、気が重いばかりで、
旅行気分などまるで湧いてきません。そのストレスが皆、爆発寸前であったようです。(゚皿゚メ)

4人はベロンベロンになるまで大騒ぎで飲み続けました。
何十本飲んだのか記憶にありませんが、
到着2時間前くらいに、
「もう、この機体のワインはすべてお客様が飲み干されました。」
などと、お愛想は崩さずに客室乗務員から申し渡されました。
しかし、乗務員のその笑顔は丁寧な言葉とは裏腹に歪んでおりました。(´・ω・`)

「そんなら、ウイスキーでも何でもあるだろう!」と声を荒げる同僚(実は童子であったかも)
に、「もうここはこの位にしとこうぜ。着いてから、店に行けばいい。」
と同僚を宥めるのでした。(実は、宥められたのは童子であったかも)
何せ酔いが回ってしまって、今でも記憶が曖昧なのですね。
飛行機での飲酒は気圧の関係かどうか知りませんが良く回るようです。

そうこうして、チャンギ空港に到着しましたが、その時はブリッジではなく、タラップでありました。
4人がフラフラ降りるときに、躓いて二人が縺れ合うような格好で滑り落ちたのです。
幸い、地上から二三段目程度だったので、怪我はありませんでしたが、
客室乗務員達の嘲るような白い目が記憶に残っております。
他の乗客や傍目からは甚だ不様な格好に映った事でしょう。

ベロンベロンでボロボロになって空港を出た4人でしたが、
出迎えに来た現地の小生意気な若手社員が童子達を一瞥して、
「みっともないご様子ですね。」とかなんとか、
チクリと皮肉を言われてムカついた事を、今ブログを書いていて思い出しました。


やっぱり、酔っ払いはこの上もなく、みっともない生き物であるのですね。
他人の事など、とても偉そうには言えません。
と、我が身を振り返りつつ、深く自省する童子でありました。

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