2014年01月
2014年01月11日
昨日のテレビのニュースか何かの番組で、
日本のビール消費量の落ち込み状況を放送していました。
1990年代以降、年々減少傾向でしたが、昨年は一段と陥没したようです。
流し聞きしていたので、所々しか覚えてませんが、童子なりに思う所もあります。
TVでは、若者のビール離れが原因であると説明していました。
宴会では、昔のように全員ビールで乾杯からスタートするという風習が変化し、
俺は梅チューハイ、ワシはハイボール、私は赤ワインでと、
酒の好みと供給が多様化して来たためらしいのです。
確かに一昔は、最初の一杯はビールというのが飲み会の掟みたいになっていた感があります。
宴会幹事が全員にビールを注いで下さいと宣ふた後、乾杯の音頭を取っていました。
たまに飲めない女性は可愛い子ぶって、オレンジジュースで頬に恥らいを作っていたものです。
これまた、希少価値のある下戸か断酒中の男子も、一応ビールを注いでもらい、
唇を濡らす程度の飲む仕草を皆の視線を気にしながらやってたものでしょう。
(今では、堂々とノンアルビールと言えます!(。・ω・)ノ゙)
昨今の童子の仕事関係の飲み会や祝賀会や何かの懇親会などなど
を見てても、乾杯がビール一色という光景はお眼にかからなくなりました。
ビールは当然ありますが、水割り、ワイン、チューハイ、ウーロン茶と好みの応じて、
様々なメニューを揃えるのが通常となってきました。
ビールの凋落ぶりは、確かにそれもあるが、ホントの所はどうなのかなあと思います。
童子の長年のアル症体験に基づいて申せば、第一に、ビールはかなり割高であります。
350mlで220円。アルコール度数5.5%とすると、100円当たりのエチルアルコールは、8.75ml。
かたや、童子が生前(゚∇゚ ;)エッ!?(アル症の童子はお亡くなりになりました、と思いたい。)
愛用していた寶酒造ワンカップ焼酎は、25度220mlで203円。
(このコンビニ共通価格は、無用の長物となった今でも忘れはしませんね。)
という事は、27.1mlと圧倒的にコストパフォーマンスが優れているのですね。
発泡酒や第3のビールが、価格が多少下がっても太刀打ちできないのです。
アル症にも色々あるみたいですが、こと童子のような本格的アル症になり、
金子(きんす)に余裕がなければ、どだいエチルアルコール単価にこだわります。
それと体や精神自体が早く酩酊することを欲するので、
ビールなどの度数の低い酒では満足できなくなってくるのです。
つまり、アルコール依存者の増加と、健常者の若者のビール離れにより、
ビール業界は苦境に陥っているのでしょう。
それと、煙草と同じように銘柄を増やせば良いものではありません。
また一つ、大きな要因はビールの酒税が高すぎるのです。
少し昔ですが、ドイツにしばらく居た頃は、スーパーの早朝特売では、
500mlビール1本が50円程度で、ミネラルウオーターより安いのです。
童子はホテルで朝から水のようにビールを飲んでおりました。
ビール業界の経営陣や企画担当の話では、打開策として、
更なる高級品化路線でプレミアムビールを開発していくそうです。
アベノミクスで景気がよくなったから、高級品が売れると踏んだらしいのです。
アホなやっちゃなあ、w(゚o゚)w 、と思いました。
馬鹿を言っちゃあ困りますね。円安で恩恵を受ける1部の大企業や金融系はよいが、
童子の勤める会社みたいな、100%近く海外輸入に頼っている製造業などは、
この1年で大赤字に陥り、今にも倒産寸前の青息吐息な状態です。
ベースアップという言葉さへ、口にするのも憚られるような空虚な響きがあります。
おまけに、ガソリンをはじめ、じわじわと物価上昇。最期は増税。
この空騒ぎの本質的な実態なき景気は、そのうちに。。。
それに気づいていないアホノミクス(*゜ρ゜)の人たちが大勢います。
などなどと、偉そうに、一体何時から酒呑童子は、
アルコホーリクスから経済アナリストに転身したのでしょうか???(´∀`*)
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2014年01月06日
無事、酒のない年末年始を切り抜けました。
元旦はやはり家でのんびりし、2日になってから近くの神社に初詣です。
昼前でしたが、元旦ではないというのに延々と長蛇の列です。
とりたてて要件のない童子は列に並びますが、
拝殿に到達するのに1時間近くもかかりました。
以前の記事の中で、「神」という言葉は嫌いなどと何回か記しておりますが、
年老いたのか、酒毒が抜け落ちたのかはわかりませんが、
苦しい時の神頼みの際は、主義主張はあっさり曲げて
神であろうが仏であろうが、何でもすがるのが、童子の一貫性のない所であります。
酒を浴びていた頃は、初詣など面倒臭い行事には極めて疎く、
唯ひたすら飲み明かす事のみが年中行事でありました。
御利益(ごりやく)など酒を飲んでいれば無関係の、信心もなにもない輩でした。
ただ今年は少し趣が違います。
会社人生にピリオドを打ち、事業を起こす企てをもくろんでおります。
そのための御利益を与ろうという卑しい心掛けで参拝に臨みました。
しかしながら、大昔から幾度か参拝の機会があっても、
無神論者の童子は、賽銭は何時も5円玉でした。
札などはもってのほかです。(無神論者とは無関係な気もしますが。。。)
「神」が存在するなら、金銭の多少で差別されるような度量の持ち主ではない筈だ。
などと勝手に解釈しておりました。
本当はケチなだけなのですが。。。
アル症を患って以来、酒以外の物には価値を見い出せずに、
酒代ならば、いくら金がなかろうが、借金してまで飲代を捻出して、
酒に費やす金が惜しいという感覚は全くありませんでした。
もっとも、晩年は安酒しか呷ってはいませんが。
ところが、スーパーの店頭で果物やスイーツなどの398円の値札を見るだけで、
勿体ないなあ、高いなあというケチな感覚が出てくるのです。
この長年培われた感覚は、情けないことに、
酒を止めた現在でも、そうそう変化はしないのですねえ。
まだニコチン依存症から抜けきれない童子は、
流石に酒代は勿体ないという気分は芽生えてきましたが、
煙草代の410円はなんとも思わないのです。
神社に着く前に、賽銭用にと、煙草を買い小銭を用意してました。
そんな童子は、拝殿に近づいた時に、財布を取り出して再度小銭を確認しました。
5円玉が1枚、1円玉が2枚、10円玉が9枚、100円玉が1枚か。
1円は幾らなんでも失礼だ。
と、5円玉と10円玉を数枚抜いてポケットに移し替えました。
今回はすこし気張って見ようかな、と
本殿は、通常5円の所を気張って15円を投入しました。
帰路の社門にも、八角形になったミニ拝殿が用意され、
それぞれ、五臓六腑の効能や、結婚運、商売繁盛、などなど、
祈願のカテゴリーごとに神様のデパートのような構えです。
年末の人間ドックの結果に照らし合わせて、
胃腸に効能なありそうな賽銭箱にまず10円玉1枚。
隣を見れば、財運の神様であります。
よしよし、ここも拝んでおこううと、ポケットを弄ります。
人並みに押されながら、もう1枚10円玉を握りしめ、えいやっと投げます。
チリンと音を立て、硬貨が賽銭箱の格子にぶつかってはねたとき、
きらりと、銀色の輝きが目に入りました。
あれっ!(; ̄Д ̄)10円玉ではなかったのか。。。
という事は。。。し、しまった!100円玉を投げてしまった。(((( ;゚д゚)))
ぐぐぐっと、くやしさの感覚が喉元に湧き上がります。
あ~あ~失敗したなあと、悔やしさで気分も落ち込みます。
しかし、今年の童子は少し違いました。
なんと、せこいやっちゃなあという自分への照れの気持ちが生まれ、
なんとか平静な気分を取り戻したのです。
きっと10円玉の10倍の御利益があるだろうと、
無理やり自分を納得させる童子でした。(やっぱりセコイ!(●´ω`●) )
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2014年01月01日
皆様 あけましておめでとうございます。
童子は大晦日は疲れが溜まってたのか、
テレビなども見ないで早く就寝したので、
元旦は4時台に起床してしまいました。
何十年振りかの酒のない大晦日と正月になります。
思い起こせば、飲んでた時分は、
年末の仕事納めが終わるや否や、連続飲酒シーズンのスタート。
延々と飲み続けて、大晦日なのか元日なのか、何曜日なのかも
全く分からずに、気がついたら出社日の朝となっており、
浮腫んだ顔で這うように、なんとか出社したものでした。(最期は、出社も・・・)
それでも、まだアルコール依存症の病状が軽いうちは、
三賀日に京都中の神社の振る舞い酒巡りに駆け回っていた時期もありました。
今もあるのかどうか解りませんが。。。
太秦に住んでいたので、近くの春日神社の金箔酒からスタートし、
ラストは、嵯峨野の野宮(ののみや)神社まで自転車で足を延ばしておりました。
中でも、野宮神社の振る舞い酒は、賀正用に仕込んだ極上の月桂冠の樽酒であり、
味わいは日本酒とは思えないほどのフルーティさを醸し出し、
上質なワインとも間違うようなティストでありました。w(゚o゚)w オオー!
意地汚い酒呑童子は、拝殿と酒樽の場所の間を何度も行ったり来たりして、
何回も何回も拝んでは、何杯も何杯も御代わりしたものでした。(*゚▽゚*)
しかし許せないのが、酒の神様である筈の松尾大社は、
無料の振る舞い酒の施しはなく、ちゃっかりと有料で
枡酒などを、庶民から高い金子をふんだくって販売していたのです。
神様の風上にも置けない奴っちゃ(゚皿゚メ)
と、当時の酒呑童子の怒り狂っていた記憶が蘇りました。
とあれ、断酒者には振る舞い酒など、今となっては無用の長物。
初詣の意義も薄れてくるのでは、と一瞬思いましたが、
いやいやそうではありません。
断酒継続の祈願と、今後の断酒人生に華が咲くよう、
近くの神社に詣でて来ることにいたしましょう。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。m(__)m
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