2013年08月

2013年08月31日

久しぶりに、なんにも用件のない土曜日でした。
午前中は図書館に本を返しにゆき、帰りにスーパーでお菓子を大量に買い込んできました。
午後から、去る7月2日にテレビで放映していた『酔いがさめたら、うちに帰ろう』の録画を、
今頃になって再生して見ました。酒ではなく、お菓子とコーラを飲りながら。
しばらく公私ともに忙しくて、録画を見る余裕もあまりなかったのである。(ホントかな~( ・Д・) )

NHKにしては珍しく感動する良い番組でありました。
あれ?CMが流れなかったな、と最後の方になって気付き、
ああNHKだったのかと、認識した次第なのでした。

涙もろい童子は、何度も目頭が熱くなり、いよいよラストシーンに到っては、
忌野清志郎の奇天烈な歌声さえ、妙に映像にマッチして涙腺がひたすら緩むのでした。
実は、童子は30代後半から、飲酒のせいなのか、アルプスのハイジやアンパンマンなんかを見ても、
何故か妙にセンチメンタルになって涙腺が脆くなった感があります。

しかし、どういう意図であのNHK様が、この作品を放映したのであろうか、とも考えていました。
NHKのディレクター仲間にもアルコール依存症友の会なんぞがあって、
この作品に感銘を受けられたのであろうか。などと童子は単純な疑問を感じていました。

まあ、どちらにしても、NHK受信料は違法であると提訴している”非国民”の童子
には関係のない話でありますが。
(不払いの事。くれぐれもナイショですぞ! シーッ(;¬b¬))

鴨志田穣の作品は、図書館で2年前に見つけて以降、興味を持って、
『アジアパー伝』シリーズをはじめ、妻であった西原理恵子の関連作品まで読んだものである。
知ってる人も多いでしょうが、鴨志田さんは、戦場カメラマンという職業でしたが、
強度のアルコール依存症の末、42歳の若さで亡くなられた方です。


『酔いがさめたら、うちに帰ろう』を見ていて、ハッと感じた言葉がふたつありました。

西原理恵子が前夫である鴨志田の依存症について、医師に相談している場面での、医師の言葉です。

「この病気が、ほかの病気と決定的に違うのは、 
 ”誰も同情してくれない病気”ということです。医師でさえも。」

う~ん。確かになあ。同情してたのは、自分だけかあ。。。(´・ω・`)


もう、一シーン。癌と宣告された鴨志田に、西原が料理を作りながら、

西原「もう3ヶ月かあ。なかなか死なないものだなあ。」
鴨志田「早く死んで欲しいのか。」
西原「・・・どんな悲惨な人生でも、死ぬよりは生きていたほうが良い。」

これも、う~ん。(T_T)


おそらく鴨志田穣にも勝るとも劣らない飲み方をしてきて、
悪運が強いのか、幸いにも、アルコール依存症者平均寿命をパスした童子は、
今からは、なんとか健常者の仲間入りをして、日本国民の平均寿命を、
いやそれ以上をも全うしたいと、秘かに切望するのでした。
アーメン!(なんのこっちゃ(●´ω`●) )


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2013年08月27日

3月から断酒を開始して、本日で180日となった。
当初計画した、まずは1年半という断酒目標の半年のマイルストーンに差し掛かった。
不屈の精神で、ここまで断酒を成し遂げたのは、遅ればせながら人生初の出来事。

これが、10年、20年前だったら、人生どう変わっていただろうか。
などという想いに耽っても、過去の数々の過ちは、どだいもう手遅れである。(´・ω・`)
今からの人生を、酒で侵されていない頭脳と精神で切り開いて行くしかない。

都合、飲み会にも4回参加。記事にはしてないが、うち1回は泊りがけである。
気が進まないながらでも参加して、公然とアルコールを1滴も口にしなかったのは快挙であり、
その事で、”呑まない(呑めない)酒呑童子”が、世間の認識として浸透していったようである。
これで、酒を薦められる煩わしさが無くなった、というものである。(*´ェ`*)

飲酒欲求も、当初は、ちらちら脳裏を掠めていたものの、最近ではグッと減り、
この猛暑の中でも、ビールを飲みたいという欲求さえも感じなかったのである。
また、早寝の習慣がつき(昨夜も9時過ぎ )、ぐっすりと眠れています。
二日酔いのあのおぞましい朝の気分がないだけで、爽快感が拡がります。

酒を飲んだときの開放感は記憶から消し去ることは、なかなか出来ないでしょうが、
今は、酒を飲んだ後の気分の悪さの記憶・感覚の方が圧倒的に欲求を打ち負かしているのです。
酒を思い出せば、開放感:嫌悪感=10:90~25:75といったところかな。

このブログのタイトル”一人ぼっちの断酒闘争”どおり、断酒会やAAなどの自助グループにも繋がらず、
断酒ブログを書くことにより、依存症を克服するという未知の( ・Д・)試みが、今のところ成果を挙げています。
ただ、”一人ぽっち”ではなく、読者の方々の支援の賜物でもありました。
この場を借りましてお礼申し上げます。今後とも、お力添えをお願いいたします。

最近、ブログを書く筆の手が停滞気味になっていますが、
必死に書かなくても、欲求は生じていないという事なのですね。
ただ、慢心していれば、過去の経験則からして、何時どういうタイミングで、
そいつは舞い戻ってくるか解らない魔性を秘めた代物です。
心をして掛からねばなりません。


ほんとうに、断酒が継続すると、いい事尽くめですね。
まずは体が楽です。血圧も下がりました。尿酸による発作も起こっていません。
良く眠れます。イライラが緩和されます。怒りが少なくなります。
食欲も増進されます。3食しっかり食べられるようになります。

ただ、童子の場合、食欲が異常に増進してしまい、着られるズボンが少なくなり、
体重計に乗るのも怖くて、しばらく計測を怠っていました。
(この歳になっても、まだ、うら若き乙女のような気持ちもあるのですね。(゚ロ゚;)?)

本日、早起きしてシャワーを浴び、いよいよ意を決して秤に乗りました。
哎呀(アイヤー)~(((( ;゚д゚)))
今からジョギングに行ってまいります。(T_T)
(今日から、サボってたジョギング再開です。)


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2013年08月22日

自分で始めた塾を事業化して発展させるか、
はたまたどうするか、行く末を思案しておりました。

しかし、最初は塾生も多く経営は順調だったのですが、
近くに全国チェーンの塾が進出してきたのです。
資金力にものを言わせて、駅前ビルに本格的な拠点を構えられると、
童子の塾の生徒数は、じわじわと減少してきました。
そうなると、経済的には対抗しようもありません。

また、塾の経営自体、未来永劫当てになる代物でもなく、
諸般の長短を考えた挙句、やはり一旦就職しようと決断しました。

ただ、不勉強が祟り、また2年ダブってしまったので、卒業するには相当苦労しました。

授業の出席日数が足らず、教養時代の単位が6年目にして、まだ不足していたのです。
特に、体育と語学は出席日数が必須条件でした。
6年目になって、体育・語学の出席だけはしますが、
語学に至っては、試験の勉強がままならず、確実に落ちたと認識します。

教授の自宅住所を捜し出して、恥も外聞もなく懇願の手紙を送付します。
不合格であれば、就職できず、生涯教授を恨みますよ、
というような半分脅迫まがいの内容だった気がします。
お陰で結果は合格でありました。

学科の方も、塾経営が優先して、授業の出席率が悪く、試験の結果も芳しくありません。
手当たり次第、科目の教授に単位の授与を懇願して走り廻りました。
その結果、ぴったりと卒業単位数になんとか到達できたのですが、
成績は優良などは数えるばかりで、大半は可という情けない内容でした。

ただし、推薦は一応とりつけて、とある大企業の面接に臨みます。
ただ、面接日の前の晩もホテルで気合を入れて、ウオッカを呷り過ぎて、
ふらふらしながら面接会場に行ったのを記憶しています。

面接担当役員が質問してきます。

色々な一般的な想定問答は用意していたのですが、
最初の担当役員の質問は、こうでした。

「君。成績、悪いね~。え~(驚) それに2年留年?。。。」
「入社いたしましたら、奮起して身を粉にして頑張ります。」
「頑張るたって。。。この成績で、どう頑張るのかね。え~。」
「いや、あの、その、××××××   」(;´Д`)

アルコールの残存していた脳みそは、真っ白になってしまい、
その後、どう受け答えしたのかよく覚えていません。
覚えているのは、帰路の新幹線で、完璧に不合格となったなあと思い、
自棄酒を呷ったことだけです。(´;ω;`)

しかし、天は見捨てはしなかったのです。見事、合格です。
おそらく、ゼミの教授が、裏で口を利いてくれたのでしょう。
ともあれ、目出度く就職にこぎつけたのであります。
こんどは、勝利の酒をしこたま呷ったのを覚えています。(o^∇^o)ノ

ただ、大学の5年目6年目に大半の友人が卒業して疎遠になり、
寂しさから一人酒を重ねていたことが、
依存症を発芽する素地を着々と形成していたです。

(つづく)

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2013年08月18日


授業に出ずに、麻雀や同人誌まがいの事に血道を入れていたのでは、
到底学校の授業は御座なりで、ほとんど出席していませんでした。
4回生になったけれど、既に卒業の見込みはなく、入学した学科にも
興味を失っており悶々としておりました。(´・ω・`)

同期の学生が就職を決めたり、修士の試験を目指すのを横目に眺めながら、
一人酒を呷り自分の行く先を思案しておりました。

4年目の終わりに、思い切って転科を大学に申し入れました。
転科先の教授の面接の結果、幸運にも了承されました。

そうして、5年目からは心を入れ替えて必死に勉強を試みます。
同期入学の友人らが殆ど社会に出て行ったので、
童子一人となり、寂しさから、酒は結構飲みましたが、
朝酒、昼酒の習慣からは、足を洗えていました。

また、以前の酔っ払いの交通事故で書いたように、
多額の借金返済に追われていたので、稼ぐ必要もあったのです。

院に残った数少ない友人を仲間に巻き込み、塾を開設する事を思いつきます。
というか、とある塾の経営者が行方不明となって、親たちが困っているという情報を、
たまに覗いていた居酒屋のマスターから聞きつけました。

早速、経営者が教室として賃借していた不動産の持ち主と話して、
教室の賃借を受け継ぐことを了解してもらいました。
行方不明の顧客の賃借料が継続して入ることなので、
不動産の持ち主は当然ながら拒否する理由はありません。

黒板や、机などの一式も、前経営者が出てくるまではと、拝借させてもらいました。
こうして、備品などの投資なしで、開所できたのです。ヾ(=^▽^=)ノ

あとは、生徒集めです。ここで、同人誌刊行で使った謄写版が活躍します。
大量の募集ビラを夜通し刷り続けました。
新聞のビラにも入れました。これは多少金が掛かりました。
高校、中学の門の前で、ビラも撒きました。

手先の器用な童子は、木材とペンキを仕入れ、自分で大看板も作成したのです。
『△進学塾 ○○ゼミナール』・・・○○の部分は酒呑童子の本名です。

阪急△駅から数分のいい場所にあったせいか、
PRが功を奏したのか、結構な生徒が集まってきたのです。

英語は友人に頼み、残りは童子が授業を行いました。
賃借料、経費、友人へのアルバイト料を除いても、
当時の新卒の給料の2倍以上はゆうにはありました。
交通事故の借金を返済しながらも、裕福に暮らしておりました。(´∀`*)

そうなると、やはり勉学の方は、再び疎かになってゆくのでした。


(続きます)

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2013年08月15日

邱永漢の著作を読んでいて、「天は自ら助くる者を助く」という言葉に出会い、はっとしました。
断酒禁酒の類の本ではありません。起業にまつわる書物です。
断酒も起業もどちらも必要としている童子には、
どこか通じるところもあるやも知れぬ、と感じたのです。

アルコール依存症からの完解には、この姿勢がなくてはならないものだと思います。
アルコール依存症は、確かに病気であることに間違いはないでしょう。
しかし、ただ単に病気のせいにして、飲み続けているようでは、回復する術もありません。

童子自身の、この数年の断酒の失敗と飲酒の繰り返しを見れば歴然です。
断酒をしても、他人から強要されたようであり、渋々という面が否めませんでした。
断酒をスタートすれども、まだまだ、断酒に気合が入ってなかったのです。

漠然とした、目標もない程度の断酒では、やはり、意識が弱いのです。
ですから、喉元過ぎればで、次第次第に気がつかないうちに、
決意は忘却にすり替わってしまっていることが大半です。

AAに参加していた時、毎日会場行脚を行っておられる方を何人も拝見しましたが、
まさに決意を風化させまいとする努力なのでしょう。(童子には出来ませんでしたが。(´・ω・`))

最後は自己の固い意識。これが無ければ、回復は絶対に覚束ないと、
少なくとも童子の場合は自信を持って云えます。
他力本願では駄目です。

そうはいっても、状況次第です。
この病気は、自分の力だけではどうしようもない状況にも陥ります。
どうしようもない事態では、病院に身を委ねるのが、ひとまずは最良の手段でしょう。

病院にいくことです。抗酒剤も必要です。
しかし、本来入院すべき所を、通院だけで穏便に済ませようとすれば、
所詮決意が緩いので、抗酒剤をもらっても、家族の前では水にすり替えた瓶を、
これみよがしに飲んで見せては、隠れ酒をやるという芸当に陥るのが関の山です。
こうなれば、入院するしか方法はないと思います。

アルコールで侵食されたぼろぼろの肉体では、
どんな決意をしても、回復は相当困難です。
一旦健康体に近づく事が、必須条件であると思います。
でないと、念仏事に終わってしまいます。

最後は自分の意思で締めくくらねば、そして、継続して刺激を与えなければ
回復のステップには向かわないと思います。
まさに、天は自ら助くる者を助く、です。

と、今回は偉そうなことを宣ふた、童子でした。(*´ェ`*)


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