2013年08月10日
憧れて入学した京都の大学でしたが、勉学はほとんどしておりませんでした。
1回生は物珍しさで、授業に出てみたものの、つまらなくて2-3回程でさぼり始めます。
期待していた大学のイメージと実像が噛み合わず、悶々としていました。
何か突き上げる衝動を求めて、当時下火になっていたけれど、
まだまだ燻っていた学生運動に参加していきます。
何度もデモに行きました。赤ヘルメットに手ぬぐいのマスクといったいでたち。
アメリカ大使館や基地。舞鶴や相模原などの自衛隊施設。
所謂”日米帝国主義・軍国主義”と見なしていたターゲットへの抗議デモです。
あるデモで機動隊と乱闘状態になり参加者の大半がパクられました。
どうも最初からセクトの幹部連中あたりで逮捕劇は仕掛けられていたようです。
童子は別用で不参加だったため逮捕からは免れましたが、
セクトへの不信感が生じてきて、活動からは脱けて行きました。
しかし学校に行けばセクトの面々と顔を合わせるため、キャンパスにも出れなくなったのです
そんなこんなで、2回生になれば全く授業には出ていませんでした。
2年のときの取得単位は、登録しただけで試験も受けてないで合格した宗教学の4単位だけです。(; ̄Д ̄)
では、何をしていたか。
”京都下鴨の阿佐田哲也”に変身していたのです。(゚∇゚ ;)エッ!?
1年間麻雀で飯を食っていました。大勝はせず大敗はしない。八割はプラスに持っていく。
そんなテクニックの打ち方で着実に生活費は稼いでおりました。
夕方に起き出し面子(めんつ)を集める。20時あたりから明け方まで麻雀。
勝った金で酒を買い、呷り酒をしては、他の学生が授業に出る頃眠りにつく。
ドラキュラのような生活ですね。
日光に当たらず、1年間がこういう状態でしたから、顔面蒼白鬼気としてたでしょう。
最初は勝つため、勝負の前は飲みませんでした。
だんだんと勝つテクニックが身に着いてくると、
多少飲んでいようが、戦線には影響しなくなり、次第に酒は増えていきます。
飲んでても勝てる。実際に冴えまくっていました。
しかも、しまいにはさまざまなイカサマ技も決めるようになりました。
しかし、ある晩、泥酔の挙句の”つばめ返し”が見事に失敗し、発覚してしまいます。
流石に罰金となり(博徒の世界なら、既に童子の小指は2、3本はないはず(((( ;゚д゚))))
次第に卓を囲む者も遠のいて行きました。
もうこの時点で常態ではなくても、一人酒、朝酒の習慣が始まったのでした。
(暑いから、また明日?)
↓よろしければ、クリック頂くと嬉しいです。
にほんブログ村
にほんブログ村