2013年08月15日
邱永漢の著作を読んでいて、「天は自ら助くる者を助く」という言葉に出会い、はっとしました。
断酒禁酒の類の本ではありません。起業にまつわる書物です。
断酒も起業もどちらも必要としている童子には、
どこか通じるところもあるやも知れぬ、と感じたのです。
アルコール依存症からの完解には、この姿勢がなくてはならないものだと思います。
アルコール依存症は、確かに病気であることに間違いはないでしょう。
しかし、ただ単に病気のせいにして、飲み続けているようでは、回復する術もありません。
童子自身の、この数年の断酒の失敗と飲酒の繰り返しを見れば歴然です。
断酒をしても、他人から強要されたようであり、渋々という面が否めませんでした。
断酒をスタートすれども、まだまだ、断酒に気合が入ってなかったのです。
漠然とした、目標もない程度の断酒では、やはり、意識が弱いのです。
ですから、喉元過ぎればで、次第次第に気がつかないうちに、
決意は忘却にすり替わってしまっていることが大半です。
AAに参加していた時、毎日会場行脚を行っておられる方を何人も拝見しましたが、
まさに決意を風化させまいとする努力なのでしょう。(童子には出来ませんでしたが。(´・ω・`))
最後は自己の固い意識。これが無ければ、回復は絶対に覚束ないと、
少なくとも童子の場合は自信を持って云えます。
他力本願では駄目です。
そうはいっても、状況次第です。
この病気は、自分の力だけではどうしようもない状況にも陥ります。
どうしようもない事態では、病院に身を委ねるのが、ひとまずは最良の手段でしょう。
病院にいくことです。抗酒剤も必要です。
しかし、本来入院すべき所を、通院だけで穏便に済ませようとすれば、
所詮決意が緩いので、抗酒剤をもらっても、家族の前では水にすり替えた瓶を、
これみよがしに飲んで見せては、隠れ酒をやるという芸当に陥るのが関の山です。
こうなれば、入院するしか方法はないと思います。
アルコールで侵食されたぼろぼろの肉体では、
どんな決意をしても、回復は相当困難です。
一旦健康体に近づく事が、必須条件であると思います。
でないと、念仏事に終わってしまいます。
最後は自分の意思で締めくくらねば、そして、継続して刺激を与えなければ
回復のステップには向かわないと思います。
まさに、天は自ら助くる者を助く、です。
と、今回は偉そうなことを宣ふた、童子でした。(*´ェ`*)
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