2013年08月22日

自分で始めた塾を事業化して発展させるか、
はたまたどうするか、行く末を思案しておりました。

しかし、最初は塾生も多く経営は順調だったのですが、
近くに全国チェーンの塾が進出してきたのです。
資金力にものを言わせて、駅前ビルに本格的な拠点を構えられると、
童子の塾の生徒数は、じわじわと減少してきました。
そうなると、経済的には対抗しようもありません。

また、塾の経営自体、未来永劫当てになる代物でもなく、
諸般の長短を考えた挙句、やはり一旦就職しようと決断しました。

ただ、不勉強が祟り、また2年ダブってしまったので、卒業するには相当苦労しました。

授業の出席日数が足らず、教養時代の単位が6年目にして、まだ不足していたのです。
特に、体育と語学は出席日数が必須条件でした。
6年目になって、体育・語学の出席だけはしますが、
語学に至っては、試験の勉強がままならず、確実に落ちたと認識します。

教授の自宅住所を捜し出して、恥も外聞もなく懇願の手紙を送付します。
不合格であれば、就職できず、生涯教授を恨みますよ、
というような半分脅迫まがいの内容だった気がします。
お陰で結果は合格でありました。

学科の方も、塾経営が優先して、授業の出席率が悪く、試験の結果も芳しくありません。
手当たり次第、科目の教授に単位の授与を懇願して走り廻りました。
その結果、ぴったりと卒業単位数になんとか到達できたのですが、
成績は優良などは数えるばかりで、大半は可という情けない内容でした。

ただし、推薦は一応とりつけて、とある大企業の面接に臨みます。
ただ、面接日の前の晩もホテルで気合を入れて、ウオッカを呷り過ぎて、
ふらふらしながら面接会場に行ったのを記憶しています。

面接担当役員が質問してきます。

色々な一般的な想定問答は用意していたのですが、
最初の担当役員の質問は、こうでした。

「君。成績、悪いね~。え~(驚) それに2年留年?。。。」
「入社いたしましたら、奮起して身を粉にして頑張ります。」
「頑張るたって。。。この成績で、どう頑張るのかね。え~。」
「いや、あの、その、××××××   」(;´Д`)

アルコールの残存していた脳みそは、真っ白になってしまい、
その後、どう受け答えしたのかよく覚えていません。
覚えているのは、帰路の新幹線で、完璧に不合格となったなあと思い、
自棄酒を呷ったことだけです。(´;ω;`)

しかし、天は見捨てはしなかったのです。見事、合格です。
おそらく、ゼミの教授が、裏で口を利いてくれたのでしょう。
ともあれ、目出度く就職にこぎつけたのであります。
こんどは、勝利の酒をしこたま呷ったのを覚えています。(o^∇^o)ノ

ただ、大学の5年目6年目に大半の友人が卒業して疎遠になり、
寂しさから一人酒を重ねていたことが、
依存症を発芽する素地を着々と形成していたです。

(つづく)

↓よろしければ、クリック頂ければ嬉しいです。



にほんブログ村

にほんブログ村

ctxt0475ctxt0475 at 14:01│コメント(2)トラックバック(0)