2013年03月20日

連れて行かれた病院が、普通の総合病院だったため、
たぶんアルコール臭ぷんぷん状態で嫌がられ、血液検査ぐらいで、
あとは専門医へ行くよう薦められた程度だったような気がする。
明日は休んで明後日から出社するという約束を、会社の同僚と交わし病院前で別れた。

明後日から仕事にいくか。よし!飲み納めだ!と早速、黄昏の繁華街に消えていく自分がいた。(*´Д`*)
当然、明後日も仕事に行く筈もない。朝まで木屋町で管を巻いて、朝帰りで昼間寝る生活へ。

堪りかねた会社から郷里の妹に連絡があり、数日後、上洛した妹夫婦に連れられ実家に戻った。
そこからは、1滴の酒も飲まないように監視され、きつい禁断症状・離脱症状が始まる。
挙句の果てに痙攣を起こしため、妹夫婦は、隣町のアルコール専門病院に担ぎ込んだ。
離脱の苦しさと、朦朧状態で意識がはっきりせず、医師に暴言を吐き暴れたため、隔離病棟に入れられる。

この病室の怖さは今でも思い出し身震いさえする。
僅かな小さい窓には鉄格子。コンクリートだけの床。ベッドも調度品も何もない。
部屋の中央に窪みがあり、それが水洗便器だ。金隠しもない。単に穴状の排泄器があるだけ。
何の物体もないコンクリートに閉ざされた部屋。
呼び出し用のブザーがあったか、布団があったかも定かではない。
完全に隔離された精神病棟の怖さ。

離脱が遠のくにつれて自前の閉所恐怖症で発狂寸前の危機感を感じた。
分厚い鋼鉄のドアも、コンクリの壁も、必死で叩き続けても誰も来ない。
このままでは狂うと焦った。
何とか、親戚縁者に連絡をつけて、1週間目に無理やり出た。脱走にちかい。
そうして、そのまま京都にもどり、なんとその翌日から出勤したのだ。

さすがに暫くは飲むのは止まった。そう、暫くだけは

空白の1ヶ月あまり、何をしていたのか思い出せない。
その後、脳みそが徐徐に回復してくるにつれ、次第次第に
断片的な記憶が突然脈絡なしに脳裏に蘇ったが、個々の繋がりは全くない。
ベンチで寝ていて警察官に咎められたシーン。
スナックで模造刀を抜いて追い出されたシーン。
ヤクザに因縁をつけ、胸倉を摑まえられ危うかったシーン。などなどろくな記憶は出て来ない。。。。。
背広のポケットから、木屋町あたりの夜の店のレシートが山のように出てきて、
何百万いくのか計算する勇気も湧かなかった。

あのまま飲み続けていれば、早晩死んでいたんだろうな、
と、孤独な連続飲酒発作の奈落の怖さを、本当に感じたのは、ずっと後のことだった。
このときは結局、それ以降、自ら病院にも行かず、当然自助会など行く筈もない。
つまり、アルコール依存症の自覚が希薄だったのである。
まだ”否認”の段階だったのだろうが、ただ今思うに、1つの底だったのかな。

二度と戻りたくない。今日でなんとか断酒20日目。(´∀`)


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